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>>>>> BABERAEDCT03 : tofe nvoc - rule loves the will haunt you in the end EP

>>>>>>>>>>> statement (Japanese)

愚かな総理大臣について─── 彼の名前を今更呼びたくない。その代わりにここから彼のことをABと記していく───私たちが最近考えていたのは「ABは果たして国葬に値する人物だろうか」ということだった。少なくとも私たちにすればABは最悪だったからだ。ABは自分と自分の仲間だけで砂糖を平らげ、残り滓をその他の人へ投げよこした。一方「こんな人たち」と呼ばれた私たちは、民主主義国家の市民であることすら否定された。

 

戦後から多くの時間において、自由民主党は選挙に勝ち続けている。その為、社会を一定程度コントロールする役割が自由民主党へ信任されるのは当然だが、彼らが本来侵すことの出来ないものがあるのもまた当然だ。各人の思想や精神性、或いは憲法と法律がそれである。政治家の言動や選択は単なる一個人の主張に留らず、様々なアイデンティティや生活を持つ人々へ直撃する。ところがABが党首になってからの自由民主党は、その当然をも破壊していった。自分たちの裁量だけによるルールを決定し、社会的な規範や資産を根こそぎ食らっていった。解釈の違いとして憲法と法律を侵犯し、独自のルールを法律と同等のものとして利用した。そしてそれらを批判し反対する人たちの意見には耳を貸そうともしなかった。ここには最早対話という概念が存在しない。民主主義は軽々と形骸化してしまった。

 

ABと奇妙なほど似通っている、かの悪名高いサッチャー政権の頃、英国ではクールとルールの2単語がもじられていた───”クール・ブリタニア”と呼ばれた緊縮政策の元ネタは”ルール・ブリタニア”という歌曲にある。「イギリスよ統治せよ」というストレートなタイトルが示す通り、ルールとは侵略を示す言葉だ。ルールがクールに書き換えられるが、その表面的なクールの本質はルールそのものである…というこの構図は、まさしく日本で最悪なABが繰り広げた最悪な政策と共鳴する。

 

例えばABが提唱したアベノミクスという政策には「”国民”全体の生活水準を上げる」という名目があったが、上がったのは大企業の収益だけであり、市井の人たちは賃金低下と物価向上で悩まされている。オリンピックはこれに極めて似たバリエーションだ。経済活性化のカンフル剤である以上、当然そこにあやかりたい政治家や関係者、そして大企業がいる。彼らは多額の税金を元金とし、それをいかに増やして自分たちの懐に入れるかだけに腐心している。最近報道されたニュースはこうだ───AOKIの役員から賄賂を渡されたオリンピック大会組織委員会元理事が、オフィシャルサポーター契約において会社へ便宜を図った疑いで逮捕され、全く同様のことがKADOKAWAとの間でも行われていた。それはまるで大きなスキャンダルのように扱われるが、実のところ意外でも何でもない。”sadism”という曲を一年前に出した時、私たちはAOKIとKADOKAWAの名前をリストに書き出していたが、それは私たちの彗眼を意味している訳ではない。それは十分に予測され得る未来だったし、天気予報よりも高確率で当てられるくじだった。しかしそのくじの懸賞金は、これから先何年も東京都民の税金から捻出されていく。

 

別のバリエーションをあげよう。私たちがアンチと謳っている「クールジャパン」という訓辞はまさに政治家から下された新しく自分勝手なルールだった。「クール」なアニメや漫画、或いはアイドルたちが作り上げた文化的な資産にABの政権はタダ乗りし、結果的にはそれを著しく歪めていった。これは自尊心と無理解、そして経済への過度な忠誠が促す侵略行為を収めた見事な図録だ。今ではかつてあったクールの代わりに大赤字を叩き出す事業が残っている。オリンピックと全く同じ構造だ。

 

どう客観的に見ても、これら全てに関わっていたABが持つ「歴代最長の任期」の称号は栄光と真逆の位置に座標する。ところが自由民主党は、その”栄光”を理由にABの国葬という新しいバリエーションを加えようとしている。

 

さて、今一度問い直したい。

「ABは果たして国葬に値する人物だろうか」?

 

私たちはABを偲ぶこと自体を批判したいのではない。これは国葬を望んだ人たちと同じ枠組みへ勝手に括られる「こんな人たち」への共感である。選挙演説の場で意思表明をしたのは国家に権利を保障されている市民だが、ABは彼らを「こんな人たち」と吐き捨てた。要は、出て行け、である。思考も行動の何もかもを否定され、市民として扱われることすら拒絶された「こんな人たち」が、国葬というケースにおいては突然”国民”として扱われ、ABの葬式代を払わなくてはならないのは何故だろう。まるでそれを望んでいるかのように? 

 

この件は一考に値するし、多くの人によって議論されるべきだと思う。そして私たちはこの場を借りて自分たちの考え方を語りたい。つまりこうだ───政治家は市民を選び抜けない。しかし彼らはそれすら自分たちのルールでコントロールしようとしている。そんな政治家たちは、彼らの好む自分勝手で独自のルールとは違う、極めて民主主義的な手法で───クールな手法で退場してもらうべきだ。クールとルールを彼らに利用させてはならない。それは称揚の為に使用されたり、政治家や大企業の為の言葉ではなく、同時に「こんな人たち」の為だけの言葉でもない。信条も思想も異なるにせよ、権利として国家に保護される全ての市民の為の言葉だ。クールがルールに飲み込まれ、ルールがクールをコントロールする…政治家による暴挙は時に止められないかもしれないが、しかしその前提だけは決して見失ってはならない。クールとルールは本来、ただ市民だけが制圧し行使出来るものなのだから。