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>>> some words? = thinking (or sinking)

奇妙なものとぞっとするものを探し求めている、また手を繋ぐ為に

「また手を繋ぐ為に」


話自体は前々からありつつ、実現するのにここまでかかるとは露知らず。ところが物事が動き始めからでは何と3ヶ月しかないときて、ハラハラしつつ進めましたが出来ました。正直、この頑張った感じだけでなかなかにお腹いっぱいなのですが、この満腹感を皆さまにも味合わせたい。ということで書いています。どれくらい満腹かというと、王将でランチを食べた後くらいでしょうか。天下一品でこってりラーメンと一緒に唐揚げも頼んじゃった感じでしょうか。でもまだしょっぱいものを食べただけです。僕たちはここから、下手したら一番のご馳走であるデザートを差し上げる次第ですが、しかしデザートが一番美味しかったよね。ということはいくらでも起こり得ます。

さていきなりですが、イベントを開催します。5月7日(日)、STYLO#3です。桜台poolにて17:30オープンです。連休最終日ですが、バシバシお待ちしております。これを書いている現時点でもかなりご予約頂いていてありがたい限り!幸先よくソールドしたいですね!友達100人連れてきてくださいね。

STYLOとしては3年ぶり、というか、dysfreesia + mihauとして公の場で演奏するのも3年ぶりという恐ろしいことになっています。コロナ渦に突入した当初、周囲の人とよく話していたのは「コロナが明けた時にいなくなっちゃったバンドとか出てきそうだよね、自然消滅しちゃって」ということだったのですが、客観的に引いて見つめてみればそれはまさしく僕たちであります。見事なまでにザ・ブーメラン。

ですが一応言い訳めいたことを言うと、mihauとはスタジオで演奏し続けていて、曲を作り続けていて、これから先の話をし続けていました。即ち僕たち自身はやる気満々だったのですが、そうもいかない状況やら社会の動きやらに翻弄されて出来ていなかった、というのが実のところです。ですがですが、個人個人の動きで言えば、僕は自分自身の作品を作ったり(『an jsfahhann (reoverboard)』)、名義を変えてちょっと違うことを試してみたり(loot quartet / particle / tooping)、果てまたBaberaでの諸々を進めていたり(tofe nvocとか、他のやつとか)、そらまめさんは他のバンドのサポートをしたり、僕とそらまめさんとマキさんで大切な友人である松本花さんのバックバンド=かいじゅうたちとして演奏したり、のんちゃんは更に別のバンドで演奏していたりで、実は動きまくっていたのです。実はね。


ですがですがですが、そんなことはmihauと関係ない、言い訳するでないと言われてしまえば本当にその通りでございます。多くの活動の始点かつベースであるmihauが一見すると動いていない状況は僕自身なかなか悔しかったりもしたのですが、状況が整い始め、じゃあどうやって動かし始めるかな…ちょっと面倒臭さもあるんだよな…みたいなことで云々ポクポクしていたところ、僕たちを貫く矢が飛んできたのは何と遥か彼方、カナダはモントリオールから届いた一通のメールでした。ここから先のことを深掘りして話すことができないのが残念なのですが……それにしてもすごい話だ。出来過ぎているくらいの話だ。


後ほど触れていく5月7日のSTYLOのテーマに付随してのこと。今回はこの人たちを呼びたい!ということが初めの段階から比較的はっきりと決まっていました。以下僕の乏しい言語において、本当に最高な二組をご紹介させて頂きたいと思います。


[Twoth]


会ったことがないけれど何度も触れたことがある…そんな人は恐らく皆様にもチラチラと思い浮かぶかと思いますが、かく言う僕にとってのそれがTwothことスダさんでした。そもそも彼に触れる入り口が始めからふたつあったことも今となっては大きな驚きです。名前はしっかり知っているけどこれまで交流がなかった…ということ自体がむしろ不自然だったかな、と今では感じてます。


ということで入り口について話すと、ひとつめは昔一緒に働いていた仲良しの先輩であるフルヤさんと話していた時のこと。話の流れは覚えていないですが、こういう面白い人がいるんだけど…と言ってひとつの画像を彼女が見せてくださいました。そこに写っていたのは陶器のお皿でした。なのですが、中央に穴が空いている。そうまるでドーナツのよう…と思いフルヤさんに聞いてみれば、7インチレコードを模したデザインだということ。なるほど、ドーナツ盤!別の写真を見てみると、それはスケートボード型の箸置きでした。そのサイズ感のボードを見れば所謂指スケを思い浮かべる人も多いと思うのですが、いまこれを書きながらサイトを覗いていたら「こちらの商品は指スケではございません。無謀なトリックに挑むと破損する場合がありますでご注意ください」と書いてありました。最高じゃん…! きちんと器の歴史を踏まえつつ、遊び心でそれをアレンジしている丁寧な”モノ”…それらは僕にそういう印象を焼き付けました。


それはTALKYという名のプロジェクトで、「アパレルをバックグラウンドとする3人が、プロダクトのもつ可能性をビースティーボーイズ世代の新解釈で提案する、ミンゲイプロジェクト。伝統と先端技術のスクラッチによる新しい解釈の陶器を提案」とのこと。ヒップホップやハードコアパンクの影響を”モノ”へ落とし込む…というこれは実にDIY的な自由な発想で、ユニークで、世の中には面白い人たちがいるのだなあ…と当時八王子の片田舎に住んでいた僕は東京の面白さを痛感したりもしました。これはスダくんという友人がやっている活動で、彼は音楽もやっているの…Twothっていうんだけど…と彼女独特の間合いとちょっと諦念を含む言い方でフルヤさんが教えてくださったとき、僕の頭の中にはそのアルファベット5文字がきちんと刻印されたのです。

以上がひとつめの扉で、ここからがふたつめの扉。


まだ音楽量販店で働いていた頃の話ですが、ひとつの文章の依頼が来ました。それは『気配と二つのハサミ』という非常に印象に残るタイトルの作品で、BERVATRAというアーティストのものでした。聴いてみるとサンプリングとコラージュによる実験音楽でしたが、排他的な要素はほとんどなく、限りなくリスナーに対してオープンな作品でした。なるほど面白いですね、とレビューを書く依頼を受け、詳細の資料を見ていた時に、僕はTwothという名前を再び発見することになります。BERVATRAはTwothと映像作家の島本幸作さんによるユニットで“行為と物音のダンスミュージック”、”大人が本気で取り組む自由研究”とそこにはあり、嗚呼なるほど。と思いました。水の音、歩く音、そういった僕たちが日常的に耳にしている要素を音楽に取り入れ鳴らす…それは確かに大人の真剣な熱狂と遊びの果実だったと思います。



そういったことでなんとなくご縁があったTwothですが、そのご縁が深まり出したのが昨年のこと。彼が新作『PLAYBACK THE COMPACT』を発表したことをたまたまTwitterで見かけ、聴いてみたら、素晴らしく良かったんですね。それでTwitter上で反応したところ、なんとスダさんご本人からDMで連絡を頂き、そこから交流が広がっていったのです。そんな最中にSTYLOの話が突然持ち上がったのですが、その時には既に今回のSTYLOはTwothのありきのイベントとして僕の頭の中では構成されていました。STYLOはなるべく色々な音楽へのアクセスとなるイベントにしたいので、Twothの音楽性はど真ん中。かつ、その時既に頭にあった「奇妙なものとぞっとするもの」というコンセプトともバッチリ符合しました。彼の新作リリパに行きたかったのですが都合が付かず…ということで、ようやく生演奏でのTwothが見られることに僕自身も興奮しております。

[ソラトブ]


そんな前になるのか…と今振り返って感じていますが、2019年のことです。西永福JAMで行われたライブにご縁があって誘って頂き出演いたしました。それはコンセプト自体がとても面白く、リキッドライトを投射されながら演奏をするライブで、60sサイケから70sプログレ辺りの所謂クラシックロックな演出が施されていました。当然僕たちもライトが投射される中で演奏した訳ですが、演奏そのものはともかく、僕たちのような音楽性は───フォーク、アンビエント、ノイズ、ジャズの配合でしょうか───自分自身でサイケだと感じていても、誰もがそう感じる訳ではないことを認識する機会でもありました。世間でいうサイケとはこういうことか!という学びが多かったと同時に、リンクはしている(と感じる)けど、これを誰しもに理解してもらうのはまた別の話だな…と当日感じたことをよく覚えています。


分かりやすく言えば、例えば空間的な音響をバンドの特徴にしている場合でも、それが常にサイケであると認識される訳ではないということです。シューゲイザーが比較的良い例かもしれません。スロウダイヴ(祝フジロック出演!)でもマイブラでもライドでも、それらは轟音でギターノイズの塊であり、必ずしもサイケとは言えない響きを持っている…というのが世間における認識。僕自身はシューゲイザーもサイケも兄弟のように感じているのですが(もっと言うと、どの音楽においても差異はそこまで重要ではない…と感じています、ジャンル分けが便利なのは当然なのですが、それと音楽の良し悪しはリンクしません、ただこの話を始めるといよいよ文章が破綻してくるので回避します)、ファズを使うのかディストーションを使うのか、リヴァーブなのかディレイなのかエコーなのか…などなど、ギターのサウンドだけでも確かに傾向はある訳で、少し引いてそれぞれを純粋な要素として考えると、確かに異なるようにも思えてきます。


そんなことを考えながら出演者の方々の演奏を見ていた中、一組だけ印象が違った方がいました。それがソラトブです。彼は非常に良い意味でそのイベントで浮いており、とても印象的でした。彼の音楽は60sサイケ…という根深い文脈から良い塩梅で外れていて、自由に演奏しているように僕には映りました。フォークをベースに、その外側を音響で覆っているのが彼の音楽の特徴であり、一種のアシッドフォークのモダンな形でした。僕のいう彼のモダンさとは、クラシックなサイケのような趣と同じくらいの分量で共にある、アンビエントや実験音楽的なやや入り組んだ多層的な響きにあります。文脈が混在している響きが少し複雑に、しかしすっきりとした感触を失わないまま組み込まれていて、非常に陶酔的だけど覚めている感覚もあり、その感覚はリキッドライトという特殊な演出も相まってさらに強まっていたとも思います。尚かつ、ここが最も重要ではあるんですが…純粋に音楽的な視点として、彼は間違いなく自分と似ているものを持っているともその時に感じたのです。


そんな非常に印象的だったライブ終わりのこと、彼と話すタイミングがありました。自分の音楽性と近いものをすごく感じました…と伝えると、彼もまたそう思っていたと仰ってくださいまして、あの同志を見つけた感じ、すごく良いですよね。しかも彼曰く、主催者さんから「絶対このバンド好きだと思います…」と事前に僕たちのことを紹介されていたらしく。こうなると主催者さんの導きが実に最高だった訳ですが、兎にも角にも僕たちは幸運にも繋がることが出来ました。


2020年のSTYLO#2の際、恐る恐る静かに声をかけたところソラトブが実際に観に来てくれ、感想をくださったのがとても嬉しかったです。そんな感じで関係性はずっとあって、続いていて、何かまた一緒にやろう…と思っていたところ、今回だ!となりお声がけさせて頂きました。SNSを見る限りだと何かレコーディングしている風でもあり、以前の彼ともまた少し違う側面が見れるのかな…と心が躍っております。彼の浮遊感、是非とも味わって頂きたいです!



コロナウィルスという超自然的な・超人工的な出来事は多くのことを殴打して過ぎ去りつつありますが、当然何もかもが元通り!よく頑張ったね!耐えたね!とはなりません。COVID-19、マスク、こういったワードはしばらくトラウマ的に残像し続けるでしょう。しかもそこに、個人個人の苦い経験が絡んでいきます。皆さんにももれなく適用されるかと思いますが、当然僕自身も思い当たることがあり過ぎる所存です。先に謝っておこう。申し訳ございません。

先に謝ったから言う訳ではないですが…以下、非常に自分勝手な解釈を述べますと、「言いたいことは言われるけど、言うことに関しては抑制を求められる (傷つけちゃうから)」ということがコロナ禍以降の僕へ刻印された非常にネガティブな残留物たる刺青でした。昔からそうだったのかもしれないけれど、これに気付いていく過程、改めて認識を求められる過程、はっきりしていく裂け目に向き合う過程、時には何もかもがダメになることが分かっていながら会話をする過程、それらが本当にしんどかった。


これまでよくこんな不器用な偏屈とやり取りしてくれていたな…みんな優しかったんだな…傷付けない為に黙っていてくれたんだな…と気付かされることも多々ある一方、「黙っていてもしょうがないのでこれは言うべきことではないか」というボーダーは誰しもが持っており、それを言われることも当然ある(非はこちらにあるのだから、あるいは、こちらにあると向こうが思っているのであれば、それはそう受け止めなくてはならない)。なのですが、それに対峙する僕はそういうものを真っ直ぐ受け止め過ぎるようで、多くの人は「まあしょうがないか」「そんなこともあるよな」で済ませられるっぽいことがなかなか出来ないことにも気付く。これはなかなか厄介なスパイラル、悪循環への突入を意味していました。

言いたいことを言うことに絶対的な正しさは存在しなく、むしろ露悪的な側面の方が大きいのだけど、じゃあこれは一体どう扱えば良いのだ、どう付き合っていけば良いのだ、ということへの疑問が解消されない。客観的に見るとその方が良い方向に進むのでは…と感じることも当人にとってそうでないことは多々あって、それは人間のベースにある感情的な問題にも大きく関係している。他の人を感情的に傷付けたくはない一方、それを回避しようと論理的に語ると尚のこと傷付けてしまう…みたいなこともあったり。これを突き進み、開き直った結果として陰謀論とかへ行き着くんだな…と納得したりもしました。


そのしんどさは今も続いているし、気付いてしまったからにはいつまでも付き纏うのだと思いますが、コロナ禍での僕の支えのひとつとなったのは、周囲の人たちとのやりとりと同じくらいに、海外の人たちとのやり取りにありました。不慣れな言語を使用しながら互いの状況を話し合い、痛みを分け合い、指摘されることは指摘し合い…それは間違いなくインターネットのポジティブな側面ですが、ポストコロナの世界ではそれがさらに大きく花開いたように思います。


オープンな状況において = 他人が関わるところにおいて音楽を続ける理由が全然分からない…思ってもいないところでくじけ、傷付け、望んでいないのに双方向の暴力的な関係が生まれてしまって…というサイクルが常に存在し、コロナ禍によってそれがさらに可視化されるようになり、そこにどうしても含まれてしまうのであれば、このままスンと終わっても悪くはないかな…身体にも心にも悪いしな…元々それはそれで楽しかったもんな…と思いそうなところ、そちらへ向かいつある僕をこちら側へ引き止めてくれていた / 繋ぎ止めてくれていた人たちはたくさんいましたが、何よりもmihauのみんながそうであるのと同じくらいに、海の向こうの友人たちがそうでした。そうした引力のおかげで、また皆様の前で演奏できるようになりました。ただこれだけでも僕は嬉しいです。


2020年は完全に折れた年、21年は自分に価値があると思えるものを見つけていく年、22年はその新しい発見や価値をどう組み上げていくかを考える年でした。じゃあ23年は?

ここまでネガティブなことを書いてきているとなんじゃそりゃ。となりそうなんですが、mihauにはコロナ禍があって良かったかもしれない…と思える要素もあって、視点が自由になったし、振る舞い方も自由になったし、強固になったとも感じています。僕はね。みんながどうかは分かりません。しかし、特に精神的な側面でめちゃめちゃ挫けていた僕にとって、数少ない日常への力点がバンドだったのは間違いありません。なので前述したように、実はスタジオには入りまくっていて、演奏もし続けていて、新しい曲もかなりあって、徐々に貯蓄されつつある新しい曲やまだ披露したことのない曲の数々、そしてそれ以上に唾棄されたアイデアの数々、果たしてあれらの全てがオープンにされることがあるのだろうか…という状況になっています。それが普通だと思っていたのだけれど、実は普通ではないのかもしれません。


ずっと考えていたことを、最近になってまた考えています。僕たちの生活にはメロウな瞬間とそうでない瞬間が入り混じっていますが、僕たちの音楽はそういうものを総括して示していると良いな、ということです。STYLOのテーマは毎回「〇〇と△△」みたいにふたつの要素をぶつけているのですが、それは緊張と弛緩という意味合いで捉えても良いと思います。ポストコロナ、このじんわりとした停滞による地獄が何となく開け始めてきた今、ようやく開催できるイベントならこういう方向性しかないよね。というテーマを以ってして今回は開催したいと思っております。

我ながら、自分の考えていることを言い表すちょうど良い言葉を発見することだけには才能があると思っています。個人的なしんどさのスタートであった20年、その年における数少ない素晴らしいことのひとつはPALESSに協力してもらって実現できたintonarumori (ghosting)という配信イベントでしたが、あの時点で「幽霊のように(消える)」とはなるほどね。では幽霊を経験した後の次のステップは、もう一度現出すること…では短絡的過ぎる。そうではなく、幽霊になった自分自身を定義づけること。既に数年前から始めていた物事を、まるで実体がなく、ghostingのようで、でも時折現実に浮上しては語りかけてきた物事を現実に向けて改めて投射する。


今回のSTYLOは、つまりそういうこと。


「奇妙なものとぞっとするものを探し求めている」


ある意味では実に彼らしい───シナリオではなく映像そのものに意味を提示し続けてきた映画監督であるにも関わらず、最後の最後にまるでシナリオティックな映画のような死を選択する捻くれ者───一貫性を貫き通したジャン=リュック・ゴダールの選択的自殺から感じることは、当然たくさんあった。時代の変遷を撮影技術や映像に映り込む物体たち(携帯電話、無線機、ラジカセ、レコード)による角度から感じることこそあれど、残された映像そのものとして捉えると、時期によって変化はあっても、どの作品が「集大成」として扱われても全く問題のないような、そんな印象を彼の映画からは受ける。まず作品ありき、そこに人の視点が引き摺り込まれていく…こんな風に他人の視点を見事に排除してきた映画監督が、これまでいただろうか?

先日、初めて『カルメンという名の女』を観たが、話がまるで分からなかった。『カルメン~』は決して時間軸を操作するような内容ではなく、時間はきちんと過去から未来へと一方向へ向かって流れていくにも関わらず、後ほど調べてみて嗚呼なるほどシーンはそうやって繋がっていたのか…と納得がいくような作品になっているのは、シーン同士を繋ぎ合わせる何かが欠落していて、ただそこに「人がいる」カットが連続していくような映画だからだ。だから「話が分からない」というのは、この映画としては…あるいはゴダールの映画としては…真っ当すぎる正しさとして機能する。


では、「話がないから」退屈な映画かと言えば全く違う。彼の映画には視覚的な快楽も聴覚的な快楽もあって、感情的な快楽がごっそりとないだけだから、だ。シーン同士を容易に繋ぎ止めることができるものが文章的な「シナリオ」だとすれば(少なくともこの作品においては…としておくが)それをここに見つけることがとても難しいのは、セリフやカットに説明的な要素がなく、意識的に排除されているようにも思えるからである。彼の映画は「その時の状況」を「感情の外側」から捉えることに特化している。考えてみたい───私たちの生活に向けて終始カメラを向けて撮影した時、そしてそれを掻い摘んで映像にまとめた時、そこにはどんなシナリオが生まれ得る? 生活、ただそのものが映し出されるだけで、メロウもロマンも、それは欠片でしかない。しかもそれは映像に映り込むことすら起こらないかもしれない。

ユリイカの臨時号としてゴダールの特集号が組まれた。それは500ページを超える批評論集で、「ユリイカあるある」と私が勝手に名付けている「半分以上がよく分からない」現象が顕著に巻き起こっている(しかしこれも実にゴダール的ではある)のだが、それでも、確かに、と思う箇所はたくさんある。その一部分を引いてみたい。


重要なのは、演技させることで「自分以外のもの」へと歪めるのではなく、「自分の人生を生きる──『女と男のいる舗道(一九六二)の原題──人々を映画の中で「生き」続けられるようにしてやることである。 (p.274 / 角井誠 『人間の探究と発見 ゴダールと俳優演出をめぐる覚書』より引用)

人を戦慄させるようなただならぬ覚悟の感覚と、逆に、人を食ったような気まぐれな遊戯性の併存 (p.349 / 武田潔 『二重性の徴のもとに ゴダールと映画理論』より引用)


ゴダールの映画は複雑なのではなく、複合的なのであって、その複合性は極めてシンプルな要素からできており、そのことが彼の映画の徹底して自由な読み取りを可能にしている。 (p,349 / 同上)


例えば『カルメンという名の女』には、「銃撃で亡くなった人の血を」「銃撃戦がいまだに続いているにも関わらず」「清掃員が淡々と拭き取る」シーンがある。私はここにジョークの感覚と恐怖の感覚、そのどちらも感じて戦慄とさせられる。もうひとつ同じようなシーンとして「手を縛りあった男女が」「スーパーへ立ち寄り」「男性トイレと女性トイレのどちらに入るかで口論し」「結局男子トイレに入ると」「そこには先に入っていた男性がいて」「しかもその男は万引きしたジャムを貪り食っていて」「その状況にも関わらず女は男性便器に腰掛け用を足し」「万引き男はそれを鏡越しにチラチラ見る」「無表情で」というものがあるが、ここにもやはりジョークの感覚と恐怖の感覚が併存している。これらふたつのシーンは、ジョークと恐怖が同居するからこそ成り立つ戦慄によって構成されている。その一方だけではこの居心地の悪さは生まれてこない。

思い起こせば…名画として著名な『気狂いピエロ』でも、その最後は「ダイナマイトを頭に巻いた男が」「自ら導火線に火を付けたが」「やはり思い直して」「慌てて手で火を消そうとする」「しかし間に合わず」「ダイナマイトは爆発する」「その瞬間にかなり引いたアングルへ切り変わる」「美しい海と丘、そしてその上で黒い煙が上がっている」「その光景を淡々と写している」というものだった。ジョークと真剣さ、美しさと愚かさの同居を以ってして、笑えもするし泣けもするし気持ち悪くなることすらできる。

もうひとつ付け足すと、私がとても好きなゴダールの作品である『ウイークエンド』は、端的に言ってしまえばこの世界にある狂気と無秩序をまとめた作品と表現できる。つまり、あらゆる要素が同居しているということだ。ここでは「映像そのものの狂気」と同義的に「この世界にありふれている光景の狂気」が扱われているが、その最中にいる状況では私たちはそれを極端な異常だと思わない。しかしその光景を外側から見ることで、その異常性が立体的に造形され、認知されていく。本作を代表するシーンだ───途切れることなく続くように思える車渋滞、これを「映像として」20分近く観たときに私たちは「クレイジーだ」と感じるが、その感覚は実際にその渋滞に巻き込まれている状況においても全く同じように作用するだろうか。

そんな映画のラストシーンとは「資本主義的な現実世界から逃避した夫婦が」「ヒッピー被れのゲリラ集団に遭遇し」「妻はゲリラの仲間に入り」「夫は殺され」「妻は他の動物たちの肉と共に」「夫の肉をそれとも知らず」「無表情に食す」というものだ。これを言葉だけで書き、イメージを以って覗き込むとぞっとする。ところが、これを映像で見るとそれに反する不思議な現象が発生する───そこにはぞっとする感覚と共に、奇妙さとコミカルさがあるのだ。現実とは所詮そんなものだ、とでも言いたげなそれが、そこにある。


妙に頭に残るフレーズのタイトルだった。その『奇妙なものとぞっとするもの』を読んでいたのは22年の暮れのことだ。ポスト資本主義の嚆矢たるマーク・フィッシャーが一冊の本を使って明かしたかった「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」の間の差異について、その本に招かれて考える日々が続いている。

基本的にはその二点を軸に考察する文化芸術論の本であり、一般的なガイド本とは少し趣が違う。批評である以上、そこで扱われているものを読み解くには、ある程度は読み手が「それに触れたことがある」前提が求められる。逆に言えばそれが欠けている状態では”チンプンカンプン”であり、私自身も正直”チンプンカンプン”な箇所がかなりあったが、それでもこの二項の分類分けはすごく興味深い。


ざっくりと書くが、本著では「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」を以下のように分類する。


「奇妙なもの」= 何にも属していないものの現前によって構成される。同じところに属していない二つ以上のものを結合するもの。特殊な種類の動揺であり、必ず「何かが間違っている」という感覚をともなう

「ぞっとするもの」= 存在と非存在に関する問いに関係するもの。「何もないはずなのにどうしてここには何かが存在しているのか?」または「何かがあるはずなのに、 どうしてここには何も存在していないのか?」と言う感覚。ぞっとするものは未知なるものにかかわっている。そのことへの知識が得られてしまえば、ぞっとするものは消えてしまう


奇妙なものは現前によって──何にも属していないものの現前によって──構成されている。(ラヴクラフトが強迫観念をもっていたような)そのいくつかの事例において、奇妙なものは、常軌を逸した現前によって、われわれの表彰能力を超えた豊かさによって特徴づけられる。対照的にぞっとするものは、不在の失敗や現前の失敗によって構成されている。 ぞっとするものの感覚は、何もないはずのところに何かが現前しているときや、何かがあるはずのところに無が現前しているときに生じるのだ。(p.100)


例えば、マーク・フィッシャーは幻想=ファンタジーを奇妙なものとは目さない。鑑賞者の世界と向こうの魔法の世界は一見すると同じところに属していないように思えるが、彼は「多くの幻想の世界が、その存在論や政治という点から見れば、けっきょくのところわれわれの世界にきわめてよく似たものである (p.30)」と指摘し、それに対する奇妙なものとしてラヴクラフトの作品を挙げ、このように論ずる───「ラヴクラフトの物語がもつ力は、地球的で経験的なものと外部との差異から生じている。(中略)つまり、外部がだんだんと人間的主体を侵食している過程のなかでこそ、前者がもつ異邦的輪郭が識別可能になっていくのだ (p.33)」。


ぞっとするものに関してはこうである。”終わってしまった後の世界”を描くSFの多くは、何故事象が起こったのかが説明されてしまう限りにおいてぞっとするものの感覚が限定されてしまう。それに対し、彼は19世紀末にポルトガル沖で無人のまま漂流されているのが発見された幽霊船メアリー・セレスト号を対置させる。「この船にかんする謎──船員はいったいどうなったのか。どうして彼らはいなくなったのか。彼らはどこにいってしまったのか──がまったく解明されておらず、今後も解明されそうにないことによって、メアリー・セレスト号という事例はぞっとするものの感覚で飽和している。ここでの謎はあきらかに、次のようなふたつの問いに帰着する──すなわち、何が起きたのか、そしていったい何故起きたのか (p.102)」。

このメアリー・セレスト号に関しては、ナース・ウィズ・ウーンドが『Salt Marie Celeste』という作品で取り上げたことがある。モチーフが明示されていたことも大いに関係していそうだが、船の中から聴く軋みのような音、暗く深く響く海鳴りによって構成された本作では、船のイメージと実際の音楽が強度に結びついて提示されている。そもそもコラージュという「現実世界を掻き乱しリミックスする」音楽性を一貫してきた彼の活動歴から捉えると、この作品はかなり特異な部類に属するとして良いだろう。これは見方を変えると、彼が自身の手で「ぞっとするものを限定させ、船を現実世界へ繋ぎ止める」為にリミックスをした、とも言えるかもしれない。全く同じことを、ギャヴィン・ブライヤーズはタイタニック号への想起として行い続けている。マーク・フィッシャーもゴダールもナース・ウィズ・ウーンドもギャヴィン・ブライヤーズも、一人残らず多くの人が、現実と手を繋ぐ為に、奇妙なものとぞっとするものを探し求めている。



私は自然と、奇妙なものとぞっとするものを探すようになってしまった。きっかけはマーク・フィッシャーで、ゴダールの死がさらに油を注ぎ、そしてナース・ウィズ・ウーンドことスティーヴン・ステイプルトンやギャヴィン・ブライヤーズを模倣しながら、自分自身が感じる「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」について考えいくことはとても面白い。私の頭の中だと、それらがどちらに分類されるものなのかがどんどん分からなくなってくるからだ。そうして確かに、ステイプルトンがリミックスをしたい気持ちもよく分かってくる。物事を考えていたいという望みは、事物と自分自身を強固に繋ぎ止める為の欲望に他ならない。


オウテカの『Confield』『Draft 7.30』がレコードで再発されて、当然のように買って聴いた。相変わらず刺激的で素晴らしくクールだったが、少しだけ変化を感じ、それが自分自身の変化に伴っていることにも気付かされた。これを初めて聴いた時、私はこの音楽を「奇妙だと思った」し、”bine”のような猛烈な電子音の嵐の最中においては「ぞっとした」。ここには所謂分かりやすいビートがない。踊る為の4つ打ちはおろか、あらゆる音が点在していて複雑な動きをしている。この時期によく聞かれたMax/MSPによる自動生成されたビートを使用した音楽の先駆けだったし、確かにすごいものを聴いている感覚は常にあった。今でも驚く箇所がたくさんある───しかし今となって一番驚くことは、これがファンクに聴こえることだった。これが一定のリズム感とグルーヴで実は制御されていること、後から蓄積されていく自動生成ビートの”プログラミング”という知識を以ってして、その音楽を見つめる視点が変わったのだと思う。今でもあれらを奇妙だと思うが、ぞっとするとは感じなくなった。それはただただ快楽的なノイズで、永遠に浴びていたいと思える美しい雨だった。気付かぬうちに、私はオウテカをリミックスしたのだ。


ペンデレツキの音楽が好きで、特に名曲と呼ばれる『広島の犠牲者に捧げる哀歌』は、定期的に大きな音で聴きたくなる。この曲には強烈な想い出がある。恥ずかしい話だが、初めてこの音楽を聴いたとき、私はパニックに陥ったのだ。自宅のCDステレオから流れてきた音、その全てが雄弁過ぎた。しかし語りかけてくるのではない。貫いてくるのだ。いくつもの意思が自分の身体に穴を開けてすり抜けていくようだった。ところが、不勉強ながら最近になって知ったことがある。それは、確固たるテーマでなく抽象的な音のイメージだけからあの音楽が作曲されていたということで、つまり「広島」と「原爆」のイメージは後から付け加えられたものだったのだ。間違いなく、疑いようもなく、私をパニックに陥れたのは言葉によって導き出されるイメージ「でも」あったのだが、後からそれが加えられたものだと知った今、あの曲は当初のものとは違う面から私をぞっとさせるようになった。あの強烈な音は一体なんなのだ? 私がリトルボーイのサウンドだと思っていたのは、一体なんだったのだ? 表現ではなく学究と探究だとして、それを知ったところで、何故私はここまで衝撃を受けているのだ? 音楽はそもそも表現ではなくてはならないのか? ただの事象としては響き得ないのか? 私はそう思っているということか? ペンデレツキは亡くなった今ですら、私をリミックスし続けている。



人の頭の中を覗き込む行為は、奇妙なものとぞっとするものを絶えず行き交う。私は今、それの一部分を稚拙な言葉を以ってして排出しているが、当然完璧ではない。しかし言葉で語る以上のことは出来ない。これから先もきっと出来ないと思う。音楽によるイメージを一方的に投げかけることは出来ても、それをどう受け止めてもらえるかまでには手が届かない。私たちの認知はイメージとして自分自身の身体に蓄積されていくが、それをそのままに近い形で他者に共有することを望むからには、言葉を用いるしかない。しかしこの行為とは、孤独によって突き動かされ、動揺させられ、依存しているものである。この上ない孤独がただここにはある、孤独は頭の中にある。

頭の中にあるものをそのまま引き出すことは、今のところ、先端技術でも出来ない。AIがデータを基に好きなものを見つけることは出来ても、それは統計的な演算の結果であって、コップの中身をそのまま外に出すことではない。奇妙なものとぞっとするもの、そしてそれに裏打ちされる興味深いものを発見することは出来ない。それらは孤独に帰するものだからだ。個人の嗜好、世界の流れに伴う同時多発的な流行、そういった物事から圧倒的に離れた孤独な場所にそれらがある。AIはどうしても孤独になり得ない。孤独になる為の言語を知らないし、仮に知ったところでも孤独をなかったことにする。それが先端技術の抱える逃れようのない宿命だからだ。


ゴダールとは技術に飲み込まれるのでなく、技術を飲み込むことに長けた人だった。そんなゴダールにとって孤独とはなんだったのか、それを知るにちょうど良い一節が先に述べたユリイカのゴダール特集号の中にある。ここにおいて、奇妙な状況、ぞっとする状況をゴダールは見事にリミックスしてみせた。筆者からするととんでもない状況だったことは想像に難くないが、少なくとも側から見れば、それはとても美しいリミックスだと思う。前置きがあった方が後に触れるゴダールの発言(の朧気な記憶)に垣間見える彼の人間性が浮き彫りになるが、書き過ぎるのも良くないので、掻い摘んで書き記しておこうと思う。

「配給会社から」「商業誌向けの内容として」「ゴダールへのインタビューを」「依頼された筆者は」「気乗りはしなかったが」「スイスで彼と会う」「しかし」「インタビュー中に」「一般の読者を想定していない、と」「商業誌向けの取材であることを理解していない、と」「配給会社の社長から」「叱責される」「ゴダールは」「途中から」「筆者の置かれた状況に気付いた様子で」「質問が終わった後に」「少し間をおいてから」「話し始めた」「フランス語には「孤独」を表現するために二つの単語があることを知っているか


フランス語には、一人でいる状況を示す際に「isolement」(孤立、隔離)と「solitude」(孤独)という言葉があるが、「isolement」の動詞「isoler」は「etre isole」のように受け身でしか用いることはない。つまり、誰かによって孤立させられている状況を示す。それに対して、「solitude」とは、絶対的な孤独にほかならない。誰かに対して一人なのではなく、一人は一人であるということであって、自分はその「孤独」を探し求めている。その「孤独」を通してしか、誰かとつながることはできない。 (p.120 / 土田環 『ゴダールとスイスと私と』より引用)


コロナ禍とは奇妙なものだったのか、ぞっとするものだったのか。これには色々な視点が交差する。コロナ禍で私たちは孤立していたのか、孤独だったのか。これにも色々な視点が交差し、複雑な模様を描き出していく。さらにぐっとフォーカスを絞っていくと、そこには私がいる。私は孤独だったのか、孤立させられていたのか。この3年間の自分自身について考えていくと、実はそのどちらでもあったような、そんな気がしている。周囲の状況に大きく影響され…というのは確かに間違いないのだが、同じく自分から孤独に飛び込んでいたところもあった。それらに対して、なんとなく煮え切らない自分がいたのも確かだ。しかし、この問いに対してゴダールは明確だった。彼に言わせれば、孤独を通してしか、誰かとつながることはできない。そうであるなら、私は孤独でありたい。「孤独を通してしか」「誰かとつながることはできない」「そうであるなら」「私は」「孤独でありたい」「孤独を通してしか」「誰かとつながることはできない」「そうであるなら」



最後に、この続きを書き記すことが出来る日が必ず来ると信じているからからこそ、まだ会ったことのない素晴らしき友人であるJoni Voidへ、STYLO#3での音楽を。僕を孤独でいさせてくれて、どうもありがとう。


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4.22追記、これを投稿しようとしている時、マーク・シチュワートの訃報を目にした。62歳、若いと思う。どの作品も混沌としていて、怒りに溢れていて、歪だった。だけど、通徹して優しさも感じられた。とても変な音楽でフォロワーすら存在できなかった。とてつもないことだ。パンクロックとその後の世界にはたくさんの"ユニーク”が存在したけれど、彼ほど奇妙な人はいなかったように思う。彼は天国でもポップ・グループのような音楽を演奏するのだろうか? そうだとしたらきっと、天国もまたこの世界と変わらず最悪なのだ。だけど、そこにポップ・グループがいる限りにおいて、その世界はまともなのだとも思う。また会いたいです。ゆっくりお休みください。



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