冬の星に近しいところに僕は生まれたがあなたのようにはなれなかった───チバユウスケとボブソン、そしてリリィについての超個人史
- 平野 望

- 2024年5月3日
- 読了時間: 58分
2023年12月11日、この文章の書き初めはこう───大人になっていく過程であるからこそ学んでいくことは数多くあります。その点で言えば、大人に許された美徳のひとつは「学び続けていくことができること」と言えるかもしれません。僕は昔から「ものを書く」ことがなんとなく好きでしたが、長い間それは全ての人が簡単に出来ることなのだと思っていました。ところが歳を重ねるに連れ、才能とは全く思わないけれど、人を特徴付ける能力のひとつなのだとは認識していきました。そんなに昔の話でもありません。
しかし一方、それによって消耗していくポイントもあります。「ものを書く」ことが直接酷になる機会のひとつは、誰かが亡くなった時に他なりません。だからいま、僕はこれを書きながら / 書き進めながら / 一応強引に書き終えたところでも心中では最悪だと思っているし、辟易としています。しかしこうせずにはいられないのです。何せ逝去された方は僕の10代を支えてくれていた人であり、僕の現在に至る道のりを創った…というか、彼の惑星の引力の凄まじさによって僕はあるべき道から、あるべきとされているが実際は不確かな道から、「望ましい人生」から大きく逸れていったのですから。
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人生が狂う瞬間を、後から振り返るまでもなくその瞬間に知ることは時折あります。僕にとってのそれのひとつはアジカンのゴッチがシャウトしているMVを観た時に感じた得体の知れない気持ち悪さであり、そのひとつは「冷えすぎたカナダ・トナカイは インディアンの仲間だったらしい」という訳の分からない詩のついた曲を聴いた時でした。”アウトサイダー”という曲、そして”1000のタンバリン”という曲は再始動ROSSOの出した最初のシングルでしたが、僕はこの報を当時のロッキングオン誌で知ります。冒頭のニュース記事だったと思いますが…写真はモノクロ、本人たちの姿は写っているけれども判然としない。なんというか、当時のアジカンなど00年代オルタナ感とは明確に何かが違うと思いました。時系列をしっかり覚えていないのですが、僕は誌面で見たことをきっかけにROSSOの『DIRTY KARAT』というアルバムを買い、謎めいたというか、意味があるにしてもさっぱり分からない詩にぶち当たります────「冷えすぎたカナダ・トナカイは インディアンの仲間だったらしい」。そして同時に、僕はその訳の分からない詩を言葉の意味合いではなく音楽によって理解した(気になった)のでした。僕が理解したのは言葉の連なりが為す意味ではなく、作家の思考でもなく、ましてやメッセージでもありません。僕が理解したのは、自分自身が実は隠し持っていた途方もないロマンチックさの在処だったのです。
それは小説とは違います。「歌詞」というからには「詩」です。ところが時に、言葉の数が少ないにも関わらず、詩は小説よりも生々しくその時点の感情を言い放つことがあります。いや、言葉という思考が介在する要素が少ないからこそ、詩は感情的でリリカルなのかもしれません。そして音楽に対して詩が分かち難く存在しているのは、音という一瞬間の事象と詩による一過性の感情との相性が抜群に良いからでしょう。それは綿密に記された小説よりも時に雄弁で暴力的でもあります。
言わんで良いことを言いますが、言うに相応なタイミングでもあると思いました。僕はあるミュージシャンが死ぬほど嫌いで、嫌い過ぎてTwitter (現X)のNGワードに指定しているくらいなのですが、その方が現行インディのエッジと時に言われていることに対して強烈な違和感があります。その人にとって音楽は程度の良いオシャレグッズでしかないと感じるからです。そしてそのミュージシャンを支持する人たちは「言葉に耳を傾けている」のであって「音楽を聴いていない」とも思います。以上のことから、その方は音楽ではなく小説を書くべきであると僕は常々思います。その人の「したいこと」により相応しく適切なフォーマットになるからです。その方に音楽は必要ない、必要ないのに必要なフリをするのはやめて欲しい、自分自身の言葉に酔いしれたいのなら音は排除した方が良い、正直に言って下品だ、真剣に音楽に向き合う人たちに対して失礼だ…という僕の意見を置き去り、また話を戻します。
僕の(恐らくそこまで賛同を得ない)価値観を構築するに至ったのは間違いなく「冷えすぎたカナダ・トナカイは インディアンの仲間だったらしい」というこの詩だったのです。この詩はこれまで知っていた音楽の詩とは明確に違いました。この言葉の力を的確に発する為にはどうしても音楽が必要であり、音楽から離れた途端に言葉は大きく力を失ってしまうからです。この詩は実に音楽的でした。優れた小説に対して「リズム感が良い」という表現が付くことがありますが、ROSSOの音楽と詩の関係性はその表現が内包するもの全てを地で行き、何もかもを鋭く突いていき、抉っていくものでした。空いた穴に扉を強引に設置し、しかもそれを再び閉じられないような仕掛けまで施していくような音楽でした。
「冷えすぎたカナダ・トナカイは インディアンの仲間だったらしい」から始まる”アウトサイダー”は「それだけで生きてけんのは ちっとも不思議じゃねえよ」とネガを肯定してみせ高らかに終わります。そして僕は本当に、本当に、ちっとも不思議ではなくなったのです。続く”1000のタンバリン”では音楽の律動に合わせてこう歌われます───「そして見上げれば1000のタンバリンを 打ち鳴らしたような星空 だからベイビー僕はどうしたらいいとか そんなことなんて知りたくはない だって見上げれば1000のタンバリンが 1000のタンバリンが」。僕はその音と言葉によって、本来はそこで鳴っていないタンバリンの音を聴き取ります。1000の星屑を聴き取ります。言いようのない愛を聴き取ります。自分自身のロマンを聴き取ります。
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これを書いている休憩で、たまたまTwitter (現X)のタイムラインにROSSOがミュージックステーションに出演している映像が回ってきましたが、よくもまあこんな人たちが金曜20時にテレビに出られたなあと思います…見てくれで言えばただの半グレな大人ヤンキーです。町で見かけたら絶対に距離を置かなくてはいけない感じだし、逆に警察官はポイント稼ぎで職質まっしぐらでもあります。ところがそんな見てくれ大人ヤンキーが扱うのは途轍もないスケール感を持つ繊細さとロマンチックだったのだから痛快ですね。彼は何かのインタビューで「自分の作る曲は全てラブソングだ」と言っていました。もしかしたら皮肉を言っているように聞こえる人もいるかもしれませんが、しかしこれは、少なくとも僕の受け止めからからすれば、この世界で最も嘘のない言葉のひとつだと思います。
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ROSSOには第一期と第二期があって、そのどちらもちょっと一風変わった趣があります。前述した『DIRTY KARAT』は第二期のスタートに当たり、この充実しきっていた第二期にはまた後ほど触れたいと思いますが、それに先立って第一期に対する印象について書き残しておきたいと思います。トリオとしてスタートしたROSSOは『BIRD』という作品を残していて、第二期から聴き始めた僕にはちょっと物足りない感じがあったのですが、詩に関してはとんでもないのがありました。アルバムの冒頭2曲、”惑星にエスカレーター”と”シャロン”です。どちらもとんでもないロマンに満ちているのです。半端なシュールレアリズム信仰者を簡単に蹴散らしてみせる”惑星にエスカレーター”の詩は「大理石のペルシャ風呂」「 ダイヤモンド舐めてさ」「ホットパンツ」「リー・ヴィトン」「MELLOW MELLOW」という具合で、前後の関連性がとても薄いように感じられる言葉の羅列で本当に訳が分からないのですが、その羅列の最後を「惑星にエスカレーター 最後は二人きり」という言葉で締め括った途端に全てが明確になるのです…これは実に詩的なラブソングだったのだ、と。
それに比べれば続く“シャロン”はもう少しストレートで、「冬の星に生まれたら シャロンみたいになれたかな 時々 思うよ 時々」であり、「ねえ シャロン月から抜け出す 透明な温度だけ 欲しいよ それだけ それだけ シャロン」とこういう雰囲気です。全然意識していなかったのですが───というより、『BIRD』がリリースされた2002年とは僕がまだ中学生の時なので、今ほど視点を広く持って世界を見てはいなかったし、日常の瑣末を繋げることもできていなかったのです───このシャロンとは当時のイスラエル首相であったアリエル・シャロンではないかと言われてきたらしく、そう考えるとまた聞こえ方がだいぶ変わってくるから面白いのですが、僕はこの歌がストレートなラブソングだとする方が妥当だと思っています。彼は直接的に社会情勢についてコメントすることはなかったし、詩人の常套手段である引用という点においても───また後ほど出てきますが───村上龍の『限りなく透明に近いブルー』から「リリー」というモチーフを抜き出してきた人ですから、人の名前の語感と響きに主に着目して言葉を引っ張ってきた可能性はいくらでもあると思います。加えて、文化史には幾つか象徴的な「シャロン」が存在しています…『氷の微笑』のシャロン・ストーンがそうだし、ロックの負の遺産として永遠に名前を刻まれるシャロン・テートもそうですね。彼の思考に依って考えれば、イスラエルの首相よりは官能の象徴だった俳優の面影の方がまだ距離が近しいし、かつ、ストーンとは比較にならないほどテートの方が圧倒的に近しいでしょう───マンソンとシャロン・テートのフィルターを通せば、彼が残した「愛という憎悪」という確信的な詩だってすぐに色づきます。
少し脱線しましたが、ともかく”シャロン”は本当に素晴らしい曲でした。メロコアとはまた違うパンクロックなラブソングであり、実際ライブでは多くの人が合唱していたみたいです。この映像の熱量はすごいし、冒頭の「冬の星ってどこだと思う?」とお客さんに問いかけた後に「俺はアイスランド」と自答するユーモアも破茶滅茶にチャーミングで最高です。この映像は第二期ROSSOが演奏した”シャロン”のテイクで、元フリクション組の2名が参加しています───ドラマーがサトウミノル、そしてギタリストをイマイアキノブが担当していた時期です。
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イマイアキノブ───間違いなく好みが分かれるギタリストでしょう。彼自身がそもそも個性的であり、演奏の巧みさは明らかだけれど少し渋みのある演奏者であるからして、颯爽たるカリスマを持ち技術的にもストレートで分かりやすかったアベフトシの後に出てくるギタリストとしてはやりづらさもあったはず。アベフトシの影を求める人たちから「アベフトシではない」という理由だけで忌諱されていたきらいもあると思いますが、僕はアベフトシと同じくらいにこの人のことが大好きでした。ROSSOのダークさにおいてはイマイアキノブが最適任だったし、The Birthdayの持つポップさとどこか通徹する明るさに彼が対応できなくなってきて結果的に離脱するのも納得できます。
妖しさとヤバさ、シリアスとナンセンス、セクシュアルな側面から考えるとヴェルヴェット・アンダーグラウンドとROSSOは極めて近い点があると思うのですが、ヴェルヴェッツにアベフトシとフジイケンジは間違いなく在籍できません…しかしイマイアキノブは違います。演奏がバンドの全体像を捉えたアレンジを主体として構成されていて、自我の出しどころもかなり練っており、客観的に引いた視点を常に忘れないのがイマイアキノブでした。そういうタイプの人は「ザ・ギタリスト」としては花がないとか言われやすいですが(分かりやすい例がジョン・フルシアンテとジョシュ・クリングホッファーです。ちなみに僕はジョシュの方が圧倒的に好き)、実際はとんでもなく良い耳を持っていないと成り立たない演奏をしている才人なのです。彼が出してきたソロの作品を聴くとより一層それがよく分かります…作品の中での彼は「奇才」と呼ばれるに相応しい奇妙さを常に纏いますが、アレンジや音響の感覚はどこか醒めていて、凄まじい鋭さも感じさせます…つまりトータルで捉えると「ヤバい」でまとめることが出来るのですが、それは熱狂も冷静が非常に入り組んだ構造で成り立っているのです。
彼の貢献を以てしてROSSOの独特な色彩感が確立したのは間違いないでしょう。インタビューで話す彼の取っ付きづらそうな感じも、直接の知り合いだと面倒くさそうだけど側から見ている分には良い塩梅だし、実際に知り合えたとして、仲良くなるまでは時間がかかりそうだけど仲良くなったらマジ楽しい人になりそうですよね。マジ面倒くさそうだけど…面識がない人には言いたい放題、ですが、これは絶対に分かってくれると思いますが、ここに残した言葉は僕から送ることが出来る最大限のラブレターです。
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第二期ROSSOは活動休止前に『Emission』という大作をリリースしています。アルバム尺だけど全4曲・8分越えが2曲というもので、”ロックバンド”としてはともかくとして”ロックンロールバンド”としてはちょっと異色かもしれません───長尺の曲ともなればプログレッシヴな内容かと思いきや、実にROSSOな音楽性を大胆に拡張させたようなアルバム、それは”眠らないジル”で「とんがったロックを聞かせて あたしを夢中にさせて」とジル自身に言わせた通りの「とんがったロック」であり、このバンドでないと成り立たないクールな作品でした。このアルバムの特筆するべきもうひとつのポイントは、音楽性の変遷とグルーヴしながら詩の趣も変わることです。もともと特徴的な散文調の詩はそのままに、少しだけ時間の流れが流入してきます───つまり物語が構成されるのです。
”ROOSTER”の詩は雄鶏から引き抜いた羽に言葉を添えては窓の外に投げる少年を扱っています。その所以を知らない女の子に「タンポポの種にも聞こえないくらい小さく”FUCK YOU”」と杜撰な返事を書かれてしまうその羽ですが、その邪険さにすら通徹する愛おしさを感じずにはいられません。そして最後に歌われるのは「窓を開けて羽を見つけたら ドアを開けて羽を拾ったら それを握りしめてどこかに出かけよう まだ見たことのない景色を探して そこに何があるかは知らないけれど そこに何があるかは知らないけれど」と、こう。グロテスクさや幼さの持つ容赦ない暴力性と孤独感、そして香るロマンを見事に歌ってみせるのです、まさに「PRESENT FOR YOU!」と颯爽に。
『Emissions』のテーマは「新しいポエットの獲得」にあると思うのですが、それは最終曲の”発光”に最も顕著かもしれません。YouTubeにはアップされていないみたいなのですが、この曲にはMVが存在しています(→5月3日時点で見つけました!多分よろしくない系アップロードですが…)───雪景色の中を1人彷徨い歩いていく男…という素っ気ないものですが、音楽で扱われる厳しく孤独な冬を美しさだけでなく恐ろしさと共に描写している映像でした。この曲は最終的に「光り出した青は冬 暗闇に飲まれない どこかに強い意志を持ってる発光」という詩で締め括られます。最も当時の彼の心境に近い詩はこれだったのではないかと、勝手だけれどそう思います。
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同じ時期に彼とイマイアキノブがふたりで結成したMidnight Bankrobbersというユニットもありました。これがまた素晴らしいユニットで、『冬のピノキオ』というそれも「新しいポエットの獲得」というテーマを『Emissions』と共有しており、(あまり言われることがなかった気がするけど)この2枚は兄弟作だと僕は当時感じていました。ROSSOはバンドという括りの中でそれを追求したのに対して、Midnight Bankrobbersはもう少しラフで、制約のないパレットの上で創造されたような印象を持ちます。弾き語りもあるし、インストもあるし、音響的なアプローチもある…この辺の自由さと囚われなさは後々のSNAKE ON THE BEACHに通じていくのだと思うし、そこでイマイアキノブが再び登場することもシンプルに納得できます。彼にとってイマイアキノブとは挑戦とクリエイティブのパートナーとして最適化で、常に面白い役割と違う視点を齎してくれたし、心強い存在だったのだとも思います。そしてそれはそのまま逆転することも出来るはず…イマイアキノブにとっても彼は自身の世界観を拡張するに頼もしい相方だったのではないでしょうか。こういう関係性、すごく羨ましいですね。
『Emissions』の曲とかライブでどう演奏するのかなあ~~~~~観てみたいなあ~~~~~いかつい人多そうで怖そうだけどライブ行ってみようかなあ~~~~~とかまだ呑気に考えていた高校生の僕の期待は、バンドの活動休止の知らせと共に見事に終末します。ただ、当時としては理解できていなかったけれど、ミッシェルもROSSOも止まった理由そのものの本質は同じではないかと感じています。それは「音楽性の深化と日々増していくポエットの鋭さ」にバンドが耐久できなくなっていく…ということ。実際、The Birthdayは(音楽そのもののヘヴィさ・ラフさとはまた別の観点として)常にカラッとした風通しの良さを持ち続けていましたが、それが故にバンドとしても最後まで駆動できていたのではないでしょうか。この理由はいくつも要因がありそうですが、ひとつは加齢によって考え方がナチュラルに変化していったこと、そしてもうひとつはThe Birthdayには他のメンバーよりも一回り若いヒライハルキという演奏家がいたことだと思います。イマイアキノブと同じくらいヒライハルキも(主にミッシェル幻想の持ち主から)なんやかんやと言われていた気がするけど、彼のバンドの貢献は「バンドを動かし続けるエネルギーであった」という点だけでも大き過ぎるはず。実際、The Birthdayは彼が死ぬまで解散も活動休止もしなかった唯一のバンドなのですから。
そして重大なもうひとつのポイントは、『Emissions』から顕著に発生した「時間の流れ」という特徴がThe Birthdayの音楽性に直接的に影響してくるということです。これまで刹那性と極端なシリアスさに満ちていた彼の音楽に「時間の流れ」が流れ込み、実にロックンロール的な「今が全て」的な現実感に「少し先の未来」も含まれていく…もう少し先のことを捉えていくことで(元々柔和で優しかったであろう彼らしく希望も込めながら)音楽が柔和になっていく…というのがROSSOとThe Birthdayの最たる違いかと思います。実際「涙がこぼれそう でラブコール あの子にラブコール」なんていう無邪気な詩が、そこにある現在とそう遠くはない未来を扱う詩が戻ってくるのはミッシェル2nd以来ではないでしょうか。それに対する是非はあるにしても、人間の心境の変化としては実にナチュラルだと思います。
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少し話が遡ります。恐らく中学校2年生の時のこと。ミッシェル・ガン・エレファントというバンドのことを朧げながら知ったのは普段テレビしか見ない世間一般の人と同じで、所謂t.A.T.u事件の時でした。今にして思えば本当にくだらない事件でしたが、あの当時はt.A.T.uが本当にスキャンダラスな存在として扱われていたのです。ニュース番組でもコンサートやテレビ番組でのドタキャン云々が常日頃騒がれていたし、件のミュージックステーションにも「本当に出るのか?」と煽りに煽られていました。そしてそれは、彼女たちが番組に出ようと出まいと同じくらいの騒ぎになったはずなので本当はどうだって良かったはずでしょう…彼女たちに触れられていればそこにあるものはほとんど同質、テレビは大きなサウンドで騒ぎたいだけ…もっともっとウチの番組を観てくれ…t.A.T.u観たいんだろ…そんな狂騒の時代だったのです。
だもんで、僕自身は誰かがt.A.T.uの代演をした瞬間を観ていなかったのですが、t.A.T.uがドタキャンしたことと「何とかエレファント」というバンドが代わりに演奏したということだけは知っていました。そしてそのバンドの名前に「エレファント」が付く…という点だけで、エレファントカシマシが代演したのだと勝手に思っていました。そう、エレカシのことは既に知っていたのです。「エレファント」よりも「カシマシ」のインパクトで名前はしっかり記憶していたし、宮本さんの一風変わったキャラクターのことも何となく知っていたし、”悲しみの果て“や“今宵の月のように”のことも知っていました。なんで知っていたんだろう…と調べてみればすぐに分かりました、エレカシの曲は当時のグリコのCMで使われ、ドラマの曲でもあったのですね───テレビテレビテレビテレビテレビ何もかもがテレビテレビテレビテレビテレビ…本当に何もかもがテレビでした、今とは違う形で牧歌的であり、今とは違う形で最悪でもありました。ニューヨークパンクでもここまでテレビジョンについて語ることはなかったでしょうから、ある意味で言えば90年代末期の東京はニューヨークよりもパンクでした。そしてt.A.T.uはまさにパンク的なセンセーションを巻き起こしていたのですから、そりゃ日本でもバチハマりするはずです───振り返れば売り込み方もマルコム・マクラーレンの如くでしたし、彼女たちのファッションもパンク以降を感じさせる雰囲気に満ちていました。意識していなかったけどパンクリバイバルだったのかな。言われてみればメロコア全盛期でもあるから、そうだったのかもしれないですね。
まあともかく、そんなテレビ狂騒の時代なのにも関わらずt.A.T.uの代演をしたバンドをテレビで見ていなかったことは、今思えば非常に不思議です。尚且つ不思議なのは、件の日のミュージックステーションを序盤だけは見ていたこと。t.A.T.u出るのかな→あ!いる!→もういいや、だったのかもしれません。中学校2年生のヒラノくんはまだパンクなるものが何かも知らず、だもんでt.A.T.uを見ても「なんかいかつい女の人、なんか好きくない女の人」くらいの感想しか抱いていませんでした。と言って今に至っても彼女たちに対する印象が変わったわけではないですが…育った土地柄が故「尖っていることが正義」で「自分自身もそう振る舞うのが最もカッコ良いこと」、しかしその一方で「なんかそうさせられてない? これって本当にしたいことじゃなくない?」と感じてもいた、隠れ牧歌主義兼隠れキリシタンな少年だったことを踏まえると、要はそんなことだと思います。夕ごはんを食べ終わった僕はt.A.T.uがテレビジョンに映っていることを確認した時点で部屋に戻り、他にやることがないからゲームで遊んでいたのではないでしょうか…これはまだ音楽に出会う前のおはなし。
t.A.T.u狂乱の日々はテレビの向こう側の人たちが思っていたよりも呆気なく終わりました。この手の話、ブームをめぐる話に付き纏うあるあるの全てを彼女たちは綺麗に回収していきました。彼女たちは新曲を出す度に話題にこそされましたが、”All The Things She Said”以上の騒ぎを起こすことはなく、誰の目から見ても明らかに失速していきました。だから…ということもあるのかもしれませんが、狂乱の日々が残していった「何とかエレファント」というバンドの朧気な記憶が修正され、僕がエレカシだと思っていたバンドが実はミッシェル・ガン・エレファントだったと知ることになるのはその1年後になります。
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ミッシェルの話をしている最中においてこれを言い出すと「嘘だ」「適当な作り話にも程がある」と突っ込まれそうだけれど、本当にそうだったからにはそう言うより仕方ありません───当時の友人に杉山くんという男の子がいたのですが、彼のあだ名は「ボブソン」でした。目鼻立ちのはっきりした男の子で、真面目で頭が良く、それが故にちょっと融通が効かない・ノリ悪いなあ~~~みたいな扱いをされることも時折ある子でした。何でボブソンかというと、そのはっきりした顔つきを剣道部の先輩が揶揄して、欧米人みたいな顔つき→ボブソンだったのですが…まあなんというか…というセンスだけど、中学生なんてそんなもんです。にしても、あの人が詩の中に登場させてもおかしくはない「ボブソン」からミッシェルのことを教えてもらうのですから、この世界には面白いことだってたくさんあるものですね。
一瞬脱線しますが、当時の僕のあだ名のひとつは「ビ」でした。話の流れは忘れてしまいましたが、僕が発した「肉体美のビは微妙のビ」という適当なジョークを剣道部の女の子たちに聞かれていて、それがそのまま彼女たちから呼ばれる名前になったのです。世界で1番短いあだ名に違いありません。彼女たちはからかい気味に僕をそう呼んでいましたが、結構仲良くしてくれてもいました。これまでの僕の生活に通徹するものが何かあるとしたら、周囲の女性には常に恵まれていたことになると思います。皆が皆、僕のことを遠ざけたり忌諱することなく優しく接してくれていました。本当に感謝ばかりですね。
さて…相模原という土地柄においては尚のことですが、ボブソンは町で生活するにはちょっと優等生過ぎました。不良に絡まれるという感じではなかったけど(そもそも当時の僕たちには「不良に絡まれる」というシーンが根本的に存在していなかった気がします。あくまで自分の周囲だけ見れば…なのかもしれませんが)、真面目さが随所随所に出るからちょっと「ノリ悪いなあ」みたいになることもある子でした。実際、僕自身も彼に対してそう感じることがありましたが、それよりも、その「ノリ悪いなあ」に合わせていないと僕も「ノリ悪いなあ」になってしまう…という集団心理によって「そう感じさせられていた」というのが本当のところだと思います。大人になって仕舞えば大したことない気もしますが、子どもの頃に必死だったのは「輪から外れない」ということばかりでした。
穏和なボブソンのことはその人柄の良さからとても好きでしたが、そこまで話すことはありませんでした───同じ剣道部だった僕たちですが、ほとんど練習もせず道場の脇に積まれたマットの上でごろついていただけの僕に対し、ボブソンは熱心に練習に励んでいました。かなり仲の良かった部活だったこともあり、練習のない日や放課後に皆で遊びに行くこともよくありましたが、ボブソンはそこに積極的に加わっていた感じではありませんでした。
そんなちょっと距離のあるようなないようなボブソンでしたが、何かの拍子で彼と隣り合わせに授業を受ける機会がありました。中学校3年生の時の話、確か図工だったと思います。クラスが一緒だったことはなかった気がするのですが…記憶が曖昧…他のクラスとの合同授業だったのではないでしょうか…隣に座った彼とどうでも良いことを話し…何かの拍子で音楽の話になり…多分何が好きなのみたいなことだと思いますが…恐らく僕はゆずとキック・ザ・カン・クルーだと答えたはず…いや、それか、もしもそれが秋から冬にかけてのことだったとすれば、もうアジカンが好きだと答えていたかもしれません。そんな気がしてきました。
音楽への圧倒的な興味の芽吹きの時期が到来していました。きっかけは中学校3年生の時にテレビ神奈川で放送していたsaku sakuという番組をゆるゆると観ていた時のこと。その日の屋根の上にはアジカンの後藤さんが座っていました。”君という花”という曲はその前から聴いていて、めちゃ良い曲!!と感じていたのですが、そのバンドのボーカルの方が出演していたとなれば興味津々に観てしまいます。今思えば、爆発的なサビがある訳でもない = 平たいとまでは言わないにしてもなだらかな起伏でデザインされている”君という花”に惹かれる時点でとっくに何かが芽生えているのですが、その核心に気付くのはsaku saku本編の後に流れる『君繋ファイブエム』のCMの時でした。そのCMは2曲にフォーカスされていて、”君という花”と一緒に流れていたのは”未来の破片”という曲。そしてこの曲のMVではシャウトしている後藤さんが大きくズームで映っていたのですが、これが本当に気持ち悪いものとして僕には感じられたのです───当たり前ですが後藤さん本人が気持ち悪かったのではありません。「音楽」という存在において…たかが「音楽」なのに何故叫んでいるんだ…? そんな人をこれまで観たことがありませんでした。「何故?」「これは何だ?」という根本の疑問が訪れていました。言ってしまえばその辺りにいそうな青年という風貌だった後藤さんという人格の輪郭が揺らいでいました。屋根の上でジゴロウとのんびり話していた男性とCMでの男性の間に存在している、言葉にできず乗り越えられないようにも思えるギャップがありました。見てはいけないものを見てしまった、そしてもう引き返せない…そう確信していました。この「気持ち悪さ」が、そこに纏いつく狂った興奮とえげつない快楽が僕を音楽へと没入させていきます。これまでの人生で味わったことのないスピード感において…光の速さ以上のゴッドスピードで…───ヴェルヴェッツの”Rock And Roll”の如く。
ボブソンの問いかけはその時期の僕に訪れていた急速な変化を見事に射抜いていたものでした。だからこそ…音楽への興味と熱狂的な興奮、それによって僕は全く同じ質問を彼へと投げ返したのです。彼は少し恥ずかしそうにしながら「ミッシェル・ガン・エレファントが好きなんだよねえ」ということを口にしたのでした。「エレファント」というワードを持つバンドからそのままt.A.T.uを思い起こしてMステのだよねえ…と返事をした僕はエレファント・カシマシと勘違いしたまま。ボブソンはその後に続く会話のどこかで僕の言うバンドが「カシマシ」だと気付き、それを優しく訂正して、改めてバンドの名前を口にしたのです───エレファント・カシマシよりもカッコ良いよ、ミッシェル・ガン・エレファント!
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ボブソンの教えによってエレファントというバンドには「カシマシ」と「ミッシェル」があることを無事学んだ僕は、高校生になれば音楽の罪深き深淵にどっぷりとはまりこんでいました。これまですることがなかったからしていたゲームには全く見向きもせず、音楽音楽音楽音楽ばかりの生活になりました。僕が音楽に傾倒する理由には、高校生活にも家庭にも全く馴染めず居場所がなかったことも大きく関係していると思います。高校生活は完璧なフォームを成した地獄でした。高校生になった途端に色気づき始める男性に対して僕は強烈な違和感を持ち、多くの男性に対して距離を感じていました。その違和感が恐らく相手にも伝わっていたのだと思うのですが、話しかけたところで話し返してくれる人はいませんでした。クラスに馴染めず、唯一話すことができたのは同じ中学から進学していた数人の友人だけでしたが、彼らとは日常的に会える訳ではありませんでした。そんな日々だったので、昼休みには図書館に逃げ込んで日本の文豪全集を読んで(いるふりをして)いました。授業が終わればすぐさま帰り音楽を聴く日々、アルバイト代は全て音楽に関する何かに変わっていきました…CDと雑誌、時々楽器、そして貯金して買ったiPod。
MDウォークマンでも感動していたけれど、iPodは僕にとんでもない革命を起こしました。まだ白黒の画面でしたが、あの端末の中に自分の好きな音楽を詰めこむことができる…というそれは本当にロマンチックだったのです。(結局遊んだことはなかったけど)ソリティアをすることも出来て、そのことは広告でこんな雰囲気で紹介されていました───「映画の待ち時間を、あなたの好きな音楽とゲームで埋めることができます」。実に未来的でした。未来から来た何かを手にしていると真剣に感じていました。授業をサボったりはできない真面目な青年ではあったので教室にはいつもいましたが、時々頬杖をつきながら片耳で音楽を聴いていることもあったりして、それはまさにiPodが齎した高揚感によるもの。そしてそんな時にビートルズは聴けない───ステレオとモノラル、そんな音響的な仕組みを僕に教えてくれたのもiPodでした。
存在こそしていたけれどインターネットはまだ完全に定着しているものではありませんでした。何せダイヤルアップ接続とかそういう時代の話です。ADSLというワードも未来的で新鮮だったのですから、ストリーミングなんて想像もつかない世界でした…が、ナップスターとかウィニーとか所謂ファイル共有の技術は存在していたので、間違いなく地続きではあります。面白いよね。そんな当時のヒラノ青年の音楽の情報源は主にロッキンオンにギターマガジン、そしてレコファン橋本店でした。本当に巡り合わせの妙を感じる話ですが、アジカンの機材を知りたいが故に買ったギターマガジン、その表紙はエリック・クラプトンだったりして、エリック・クラプトンからブルースを知ったりして、そしてアジカンのCDもエリック・クラプトンのCDも、それどころかブルースのCDもしっかり置いてあったのが恐るべきレコファン橋本店だったのです。レコファン橋本店は僕の音楽観に大き過ぎる影響を与えました───知らないものがそこには多くありましたが、あのお店にある音楽を全て聴けば自分は誰よりも音楽に詳しい人になれると狂信的に思い込んでいたし、実際にそうできるとも、そしてそうなるとも思っていました。
レコファン橋本店には1枚1,500円の洋楽国内盤廉価シリーズが山ほど置いてありました。エリック・クラプトンもそこに含まれていました。当時両親からお昼代として1日500円をもらっていたのですが、狂信的だったが故、時々お弁当を持っていく時以外は高校ではお昼を全く食べていませんでした…3日我慢すればCDが1枚買えるので、当時の論理からすれば割と当然の選択でした。食べるものなんて家に帰ればいくらでもありましたが、知らない音楽は家にありません。2週間で3枚くらいはお昼代でCDを買えたし、そこにアルバイト代も加われば、それなりに色々と買えました。国内アーティストのCDも買っていましたが、その1/2の価格で買えてしまうのだから洋楽を選ぶことが多かったし、刺激的だったのもこちらでした。
そのシリーズで買ったものは山ほどあるから全く挙げきれませんが…ゴリラズやブラー、コールドプレイはまだ比較的「近しい過去」として置いてあったし、U2だとかはそこで買って今に至るまでずっとしっくりきていません。ニルヴァーナは『ネヴァーマインド』よりも『イン・ユーテロ』にどハマりして、その頃聴きまくっていました。R&Bも置いてあったからスティーヴィ・ワンダーとかマーヴィン・ゲイの王道ものはその頃には買っていました。本当に大枠としての、ざっくりとした近代西洋ポップス史の基礎は恐らくその頃には出来上がっていた気がします。
そしてさらに、そこに恐るべきレコファン橋本店のブルース・コーナーの影響が被さります。チェス・レコードの廉価盤シリーズが当時あって、マディ・ウォーターズやらハウリン・ウルフやらサニー・ボーイ・ウィリアムスンやらが当然のように置いてありました。もっと後になると『エレクトリック・マッド』みたいなちょっと奇妙な作品も廉価になっていくのですが、この頃はまだ王道ばかりのセレクションでした。中でも聴き込んでいたのはバディ・ガイの『アイ・ワズ・ウォーキング・スルー・ザ・ウッズ』、冒頭から管楽器もいるファンキーなバンドのサウンドが聴こえ、バディ・ガイのトレブリーなギターソロが飛び込んでくる箇所ではいつも鳥肌が立ちました。その頃のバディ・ガイが水玉模様のストラトを使っていたことは当たり前のように知っていたのですが、あのアルバムのジャケットのそれは恐らく白色のGibson SG。当時SGのことを「鬼みたいな微妙なやつ」と評価していた僕でしたが、バディ・ガイの抱えるSGは別格にカッコよく見えました。アンガス・ヤングなんて到底太刀打ちできない、バディ・ガイ + SGが最高でした。

さて少し話が戻って…ROSSOのリリースを知ったヒラノ青年はそのぶっ飛んだ詩にやられる訳ですが、そうすると自然とそこにボブソンが教えてくれたミッシェル・ガン・エレファントのことが流入してきます。嗚呼この人ミッシェルの人なのか!というのは雑誌の記事にそう書いてあるから知る訳ですが、ROSSOのアルバムにゾクゾクしていたからには当然ミッシェルを聴きたくもなります。で、レコファン橋本店に行けば当然のように置いてありました。いくつか置いてあったCDから、僕は赤いジャケットのものを手に取りました───『サブリナ・ノー・ヘブン』です。
ROSSOとはまた違うけど、このバンドも最高にクールでした。もっと早く聴いておくべきだったし、中学生の時にこれを聴いていたボブソンの感覚にもとても驚きました。あの優等生のボブソンがこれを熱心に聴いていたとは…意外性というよりも、豊かさを感じたことをよく覚えています。彼の分かりにくい何か、ネガティヴィティでも鬱屈でもなんでも、音楽に頼れば全てが明瞭で豊かでした。彼の言葉よりも雄弁に彼のことを語ってくれているような、そんな気がしました。
「チェルシーが泣いているなら それが世界を濡らすんだろう チェルシーが笑うのなら そのままでいいことなのさ」という”チェルシー”の詩にはこの世界の全てが詰まっているようです…世界の馬鹿らしさと、人に寄り添う優しさと。続く”ミッドナイト・クラクション・ベイビー”は曲調こそアッパーだけどやはり「全て」があるように聴こえました。「イルミネーションがゴミだってことをわからせてくれる」という詩のせいで、鬱屈している違和感のようなものを抱えている自分自身に気付かされてしまいました、そして悲しいかな、クリスマスの飾りっ気をまるで信用しなくもなってしまいました。ロマンチックな恋人として選ぶには残念過ぎる要素を抱え込んでしまったのは全てミッシェル・ガン・エレファントのせいです。
それと…今にして思うのは最後の曲がインストだったことも大きく感じさせるものがあったかもしれません。ミッシェルのそれはかなりシンプルなものだったにせよ、インストの楽曲なんてものは初めて聴いた気がします。もう少し後になるとモグワイを聴いているはずなので(モグワイには全く知らない「音」を叩き込まされました、僕からすればMVBよりも完全に刺激的で得体の知れない何かでした)、”音楽=歌という訳ではない”という理解が当然になりますが、それまでテレビ文化に浸っていた青年にすれば”歌のない曲”を聴く…というそれは極めて重要な経験だったし、アンビエントやらエレクトロニカやらに向かっていく下地を作ったのではと思います…とはいえ歌ばかり聴いていましたが…インストは時に飛ばしつつ…。
加えて、この曲には3つのバージョンがあることも後に分かるとさらに別の扉も開いていきます───”夜が終わる”には”NIGHT IS OVER”という『サブリナ・ヘブン』の収録バージョンと、シングルになった歌ものの”GIRL FRIEND”というバージョンが存在します。ひとつのモチーフがアレンジの仕方によって変遷していく、バリエーションが生まれるということをこの3曲は示唆していました。そこにはやはりこれまで知らなかった豊さがありました。このバンドによって、自分の知らなかった世界への扉がどんどんと開かれていくのがよく分かりました。
こうなれば当然、ジャンキーになりつつあったヒラノ青年は他のミッシェルのアルバムも聴いていくことになる…のですが、聴けば聴くほど途方のないカッコ良さと同じくらいに「?」が付き纏いました。これは聴き方の順番のせいによるものが大きいと思います。『サブリナ・ノー・ヘブン』の後に3rd『チキン・ゾンビーズ』を聴けば当然そこにある音楽の軽快さに驚かされ、『サブリナ~』で濃厚だったシリアスさが希薄…だけれど実は少し燻っていることにも気付かされます。「本当に同じバンドか…?」という疑念が生まれてきます。では…と次に5th『カサノバ・スネイク』を聴くと今度はヘヴィ、かなりヘヴィ、しかも『サブリナ~』よりも衝動的で速度の出ているヘヴィさ。「本当に同じバンドか…?」という疑念がさらに深まります。さてさて今度は1st…と聴けば驚くほど軽い、爽やかですらあるではないか。
異様でした。音楽性は一貫しているのに、作品ごとに抱えるテンションが見事にバラバラでした。一方、分かってくるのは「世界は終わる」という感覚と空気感が常にあること。その感覚へのアプローチの仕方の違いが作品のカラーを決定しているのでした。初期は「世界は終わる」ことを確信しているけれども楽観的・少し逃避的だったのに対して、後期はどんどんとシリアスにそこに向き合っていく…という変遷が明らかに存在しているのですが、6th『ロデオ・タンデム~』に収録されている”暴かれた世界”でそれは言葉として明示されます───「パーティは終わりにしたんだ」。
「パーティは終わりにしたんだ」というこの言葉が僕にどれだけ響いたか…どう書いても書き切れません。景気の良さを経験したことのない僕にとって、この世界は違和感だらけでした。不思議な…というか不可解な楽観性を世界が常に抱えているように思えましたが、僕にはそれが信用できませんでした。少なくとも僕が育った相模原には「くたびれた」感覚・「疲れた」感覚が常にあったので、そこで生活していた僕にすれば世界が常識のように提示してくる闊達さや希望は明らかに偽物でした。そんな僕に、ミッシェルはこの世界の見つめ方を教えてくれたのでした。途方もないネガティヴィティを通してもこの世界を愛することはできるということ。それは世界との戦い方、対峙の仕方でもありました───背を向けて逃げるのではなく、世界を見つめることは止めずに一歩身を引いて石を投げるということ。美しい仕草による逃避。「ピース・マークだけで全て片付ける奴に飽き飽きしてる」。
ミッシェルの変遷はひとりの人間が成熟していく過程を見つめているようでもありました。そしてミッシェルが見せてくれる「大人」の姿は本当にカッコ良かったのです───細身のスーツ、モノクロームの世界、シンプルな構造の音楽、そこにある途方もない豊さ、散文詩による想像力の喚起…僕がなりたい「大人」は全てそこにありました。そしてこうも思いました、こういう「大人」になれれば僕はこの世界で生き延びていける、と。
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ミッシェルやROSSOの話はいくらでも出来る、けれども、僕にとってとても大事で素敵な話があります。それだけはここに書き残しておきたいと思いました…彼女はこれを見ることはないだろうけど。前述したように僕は周囲の女の子には常に恵まれていて、優しく接してくれる人ばかりでしたが、彼女はその中でもちょっと特殊な人だったしかなり不思議な人だったとも思います。
高校3年生の僕は極めてノーフューチャーで、大学に行くことは決めていたけどそこに熱意があった訳ではなく、割とどうでも良いと感じていました。なのですが、どうでも良かった癖に予備校には通っていました。矛盾しているようだけれど核にあるものはシンプルで、要は「自分に明るい未来は存在していない」という漠然としているけれど決定的な確信、そして「自分が何かを決めたってしょうがない」という決定的な諦めのミックスによるものでした。そしてそれらは綺麗に、幾つかの意味合いでの「死」というものに直列していたのです。
本当は普通制の高校ではなく当時興味があったPC系の専門学校に行きたかったのですが、母親に猛反対されました。彼女は普通の四年制の大学に進んで欲しかったようなので、反対された時点でそうすることにしました。母親には何を言っても無駄でしたし、反論する気にもなりませんでした。彼女と話すことを回避できれば、物事の是非は正直どうでも良かったのです。だから本当は予備校のこともどうでも良かったのだけれど、行った方が母親には文句を言われなかっただろうからそうしました。
そんなハイパー諦念青年だったから、予備校の授業も話半分で聞いていました…というか、今では珍しくないのかもしれないですが、僕の通っていた予備校はカリキュラムに組まれた授業を収めたDVD(ここには時代を感じますね)を見て勉強していくスタイルだったので、話半分どころか借りるだけ借りて適当にしていても誰にも分からなかったのです。仕切りで区分けられたデスクの1番奥を陣取り、もちろん授業のDVDを見ることもありましたが、半分くらいは音楽のDVDを観ていました。ライブとかMV集とか。グリーン・デイの『バレット・イン・ア・バイブル』がこの頃のお気に入りでした。あのライブ盤は強烈…というか、あの時期のグリーン・デイは破茶滅茶に格好良かったです。『アメリカン・イディオット』が大ヒットしていて、政治的な作品だけどキャッチーというそれは僕に大きく響きました。時折仕切りの隣に人が座ることがあって、そうすればちらりと僕のモニターに映っているビリー・ジョーの姿も目撃していたはずですが、何かを言われることはありませんでした。言われる筋合いもありません。シンプルな話、競争相手が少なければ少ないほど勝ちたい人には有利です。僕には「勝つ」ことへの意欲が全くなかったので、勝ちたい他の予備校生とは「ウィンウィン」の関係にありました───ただし世界史を除いては、なのですが。僕は世界史だけは異様に成績が良く、予備校内でも全国上位の成績を収めていたりして、ここだけは勝ちたかった…矛盾だらけですね。まあ、世界史のことは置いておいて、彼らは勉強したいだけ、そこに何かしらの未来を感じていたのだろうけれど、僕には素晴らしい未来なんてそもそもなく、現実のあれこれは破壊するべき、またはそこから逃避するべき対象として存在していたので、僕はノーフューチャーな上にアナキストでもありました。アナキストにとって予備校の授業なんてどうでも良かったのですが、客観的に引いて見た時、高校生にとっては大事なようにも思えました。やはり矛盾しています。
さて。彼女はひとつ年上だったのであの時は大学一年生、その予備校の受付のバイトをしていた女性でした。恐らくどの予備校も似たようなものだと思うのですが、受付には大学生の人がちらほらいて、彼女は(確か)3人いらしたうちの1人でした。3人ともキャラクターが違って(当たり前だけど)、おひとりはあんまり心を開いてくれない真面目そうな女の人、おひとりは僕が1番仲の良かった(確か)トルコ生まれの男性、そうしてもうひとりが渡辺さんという彼女でした。
トルコ生まれの男の人はすごく親切な上に良い塩梅で適当なところのある人で、僕が予備校でウダウダしているのも知っていたけど何も言わず、いやむしろ予備校の社員さんたちがいない時にはなりふり構わず遊んでくれた人でした。音楽も好きで、その頃僕はカサビアンの『エンパイア』にぶっ飛んでいたのですが、それを教えたところ次に会った時に「”Shoot The Runner”最高だね!」と返してくれたりもしました…僕のレコメンドによってすぐCDを買ってくれていたのです。そんな具合にとても親しみやすく最高な人でした。
なのですが、1番印象に残っているのは渡辺さんのことです。彼女はアルバイト3人のうちのちょうど真ん中くらい、程良く真面目で程良く不真面目な人でした。トルコ生まれの男の人とのグルーヴには同性・年齢近いノリみたいなものが間違いなくありましたが、渡辺さんとの間にあったのはそれとは少し違うグルーヴでした。渡辺さんは表向きは誰にでもフレンドリーだったけど、心の開き方には程度があったようにも思います。僕とはよく話してくれていましたが、同じ予備校にいた友達と話していた印象はあまりありません。そしてかく言う僕も、渡辺さんと何を話していたのかについてはあんまり覚えていません。なのですが、無理くり話題を作っていたこともなかったように思います。そんな会話を通して、僕は彼女がどんな人なのかを自然と / 漠然と知るのでした。
彼女は特に何かをやりたい訳でもなく、何かを学びたい人でもありませんでした。「大学へ進んだ方が良いだろうから」という理由で進学した人で、専攻は経済学(絵に描いたような普通ぶり)、適当にテニスサークルに入って(絵に描いたような普通ぶり)、適当に予備校でアルバイトしていた人でした。僕とはかなり違う意味合いだけれども…彼女はその時点でノーフューチャーでしたが、今は何もなくても / 自分には未来があることを確信している人でした。しかし間違いなく共通するところもありました───僕たちふたりには決定的な推進力やエネルギーが欠けていたのです。僕には未来がなかったけれど音楽がありました。彼女には未来があったけど(僕が知るその時には)何も手にしていませんでした。
モラトリアムを堪能している美しい人、振る舞いに常に感じられる余裕さと浮遊感、すごくソフトな優しさ、それと同じくらいに感じられる強さ、人間的な芯を多角的に感じられる人───彼女はこれまで僕が会ってきた人の中でもかなり独特な人だったと今では感じますが、当時はそう思っていませんでした。ユニークな人の中のひとり、という感じだったのですが、歳を重ねれば重ねるほどあんな雰囲気の人は他にいなかったように感じるようになりました。そしてそれが故に、確証はないけれども確信できることは、彼女は間違いなく素敵な「大人」になっているだろうということです。
彼女は何せ僕を褒めてくれる人でした。どんな小さなことでも僕を褒めてくれました。雨の中予備校に来たとか、高校の制服が似合っているとか、教えてくれたお菓子が美味しかったとか…そんな程度の知れたレベルのことを総ざらいに誉めてくれました。恐らく彼女は僕の抱えていたネガティヴィティとノーフューチャーの存在を、そしてそのふたつの繋がり方を見抜いていたのではと思います。確かに僕は、彼女の前では嘘がつけないように感じていました。彼女の眼は常に優しかったけど、それは僕の眼を見つめていたのではなく、もっと奥底にある核を捉えていたように思います。だからこそ、ともかく彼女は僕を褒め続け、貶すことを一切しなかったのかもしれません。
その取り扱い方は兄弟に対するそれと似ているかもしれません。僕には6個上の姉がいるのですが、渡辺さんはその間を埋めてくれる少し年上のお姉さんという感じの人でした。実のところ、彼女の弟さんもその予備校に通っていたから、僕もそういう扱いだったのだと思います。いやでも、渡辺さんがその弟さんを可愛がっているところはついぞ見ませんでした…ふたりが仲良しだとはあまり思えなかったけど、それは人前だからそうしていただけなのでしょうか。或いは、血の繋がりのない他人だったからこそ、彼女の優しさはストレートに僕に注がれていたのかもしれません…まあ色々な感じ方があるにせよ、お互いにとって良い関係性と距離感だったのだと思います。僕は渡辺さんに親しさを感じていたし、彼女もそうであったなら、それはとても喜ばしいことです。
彼女と繰り広げる話は別段特異なものではなかったですが、むしろどうでも良いことを話せる関係性は決してありきたりではありません。加えて、突然少しいやらしい話に突入していくのですが、渡辺さんの優しさは時に物質的な方向に傾くこともありました───要はおごってくれたということなのですが…僕自身は100%冗談として口にしたことを間に受けたのか、或いはそれくらいなら構わないという不思議な余裕から来たのかは今となっても分かりません。僕は彼女に甘え尽くしていたという訳ではないと(自分では)言い切れるけれど、それを彼女がどう受け取っていたかは別の話です。
僕が冗談で口にしたことを彼女が実行しようとした時 / 実際に実行した時、僕は大いに狼狽えました。途轍もない申し訳なさも感じました。そりゃそうでしょう…ノーフューチャーとは言え一応平均的に生きている高校生が年上の大学生、しかもアルバイトしている人から何かを買い与えてもらうだなんて、厚意だとしても申し訳なさを感じて然りだと思うし、少なくとも僕は本心からそう感じていました。僕は彼女からの厚意を2度も施してもらうことになりますが、僕は2回とも全力で謙遜しました、しかし結局は彼女に甘えることになりました。1回目は断り切ることも出来たけど、彼女の厚意に乗りました。2回目は断るも何も、既に彼女が買ってきてくれた後だったから受け取らざるを得ませんでした。さて、ここから彼女におごってもらったものを書き記そうと思います───ひとつは学食のうどん、そしてもうひとつはミッシェル・ガン・エレファントの『ハイ・タイム』のCDでした。我ながら、なかなかすごい話ですよね。
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ではひとつめから書いていきましょう。それは彼女の通っている大学のオープンキャンパスに行った時のこと。オープンキャンパスに行くということを予備校で渡辺さんに伝えた時、僕は完全無欠の冗談で「学食おごってくださいねえ」と彼女に言ったのでした。したところ、彼女はいつものように笑いながら「着いた時に連絡してね」と返し、そんな流れで彼女と連絡先を交換したのでした。記憶の限りではすぐに彼女と連絡を取り合うことはなかったはず───僕は律儀に「着いた時に連絡してね」という彼女の言葉を守っていたのです。約束を守らねば!とかそんなことは当時考えていなかったと思うけど…結果的にはそういうことになります、真面目だねえ。
ということで…オープンキャンパスの当日、大学に「着いた時に」僕は彼女に初めて電話をしたのでした。そんなに待たせることなく電話に出てくれた彼女は、ちょっと待っててね、と待ち合わせの場所と時間を指定し、その時間になれば実際に来てくれました。しかし会ったのは良いけれどどうしよう…と思ったのはほんの束の間、「じゃあ学食に行こう」と彼女が口にした時まで、僕は自分の言ったことをすっかり忘れていたのでした。そういえばおごってくださいとか言ったな…だから連絡先を交換したのだ…と思い出してから冗談です冗談ですと彼女に伝えましたが完全に後手、後手中の後手、そして彼女にすればそれは多分どうでも良かったのだと思います。彼女にとってはその過程が全てだったのです───僕は彼女に言われた通り大学へ「着いた時に」連絡をしたのであり、その代わりに彼女は「学食をおごって」くれたのですから、恐らくそれでイーブンだったのだと思います。ということで、一緒にいた予備校の友達と共に学食へ連れていかれ、僕たちはうどんを食べたのでした。渡辺さん良い人だなあ…くらいの感じで友達は食べていたと思いますが、僕はもう少し複雑な気持ちでいました。
ゆっくり食べてね、とだけ彼女は言って去っていった…のですが、今思うと、テニス部に適当に入る感じの彼女はオープンキャンパスの場に何故いたのでしょう。適当に来ていたのだろうか…? テニス部の一員として…? 最早ちょっと分かりません…が、僕が認識している自分自身のことはひとつあります。オープンキャンパスに行ってから、僕は渡辺さんのいる大学を志望校に加えたのです。適当にやっていた僕には微妙に届かない学校であることは分かっていたし、彼女がいるという理由で頑張ろうとも全く思わなかったけれど、それでも彼女が僕の価値観に大きく影響したのは間違いありません。
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ふたつめのエピソードで彼女の不思議さと素敵さはさらに深まること間違いなし。もうすっかりミッシェル・ガン・エレファント・フリークス、そしてその詩に魅了されまくっていた僕は予備校に置いてあるあらゆる紙に…共用スペースにあるチラシやら、職員用のメモ紙やら、手の届く限りの紙という紙に「世界の終わりは そこで待ってると 思いだしたよに 君は笑いだす」とか「愛という憎悪」とか「それでまた続いてくだろう それでまた繰り返すだろう これは誰のせいなんだろう それはわかってるんだろう」とか「どこかに本当に果てというものがあるなら 一度くらいは行ってみたいと思う」とか書き落とし、その紙の使い道をなくしていった見事に痛々しい青年だった訳ですが、それは「この詩を知っている俺かっこいいっしょ」という自己顕示では全くなく、「本当に素晴らしい詩だからみんなに見て欲しい」という一心による行為でした。その目論見自体は一応成功していて…至るところに書き過ぎていて目につかない方がおかしいのだけれど…そんな奇行をしているのが僕だということは少なくとも友人や職員さんは当然知っていたはずです。
ところがそんな僕の狂気 / 熱狂にきちんと耳を傾けてくれたのは前述したトルコ生まれの青年と渡辺さんだけでした。当たり前の話なのかもしれませんが、そこが予備校である限りは重要なのは詩の素晴らしさよりも現代文の構文と論理なのです───受験戦争から縁遠い生活に至っている今、あの勉強の仕方は本当に無意味で徒労だなとつくづく思います。言うまでもなく、本当の頭の良さは感性と密接に関係していて、受験勉強で感度を磨き込むことは余程の人でない限り難しいとも思います。極端に言えば、人間にとって1番大事なのは”感じる”ということでしかないのに───「素晴らしい」という感覚、衝動、熱狂、恋愛でも人間関係でも何でも自分ではない誰かや何かによって自分の心が動いてしまうこと、これに勝るものは何もありません。その感覚を置き捨てて学ぶ過程は結局何にもならないのですが、ともかくそういう点で当時の僕と感性が近かったのはそのふたりだったということが今ではよく分かります。ふたりは目の前にいる人間と向き合ってくれていたのであり、受験勉強なる得体の知れない闇を見つめていた訳ではなかったのです。
トルコ生まれの青年とは音楽的な話もしっかり通じたので、ミッシェルの話も踏み込んで出来ました(が彼はそこまで好きではありませんでした)。それに対して、渡辺さんはそもそも「ロックって何? 速いの? うるさいの? ラルク?」みたいな感じだったので、ミッシェルの名前は知っていても(それも怪しかった気がしますが)その音楽については全然ピンと来ていなかったはず。それでも熱狂的に僕が話すものだからいつも耳を傾けてくれていたし、食費を割いてCDを買っているということも話していた…からだと思いますが、何かの流れで『ハイ・タイム』のCDだけが何故かお店で見つけられない話をしたのでした。
そう、何故かないのです。当時の僕は『ハイ・タイム』迷子だったのです。
高校生なヒラノ青年の散策網は橋本のレコファン+町田のHMV+八王子のタワーレコードという具合、見事に地方都市感漂うチョイスだった訳ですが、どこかにありそうなのに何故かどこにも『ハイ・タイム』は置いてありませんでした。ミッシェルのCDなんてどこでも売れそうだと思うのですが…あの2ndはちょっと影が薄い感じがあるからそんなに売れなかったんでしょうか…。ミッシェルのCDはこの2ndとインディ盤だけが僕の手の届く範囲には見当たらず、当時はネットで買うことにまだハードルがあった(上に高校生だったからそんなに自由に立ち振る舞えた訳でもなかった)ので、行ったことのないCDショップで買うくらいしか選択肢がありませんでした…が、だからと言ってその為に闇雲に遠出するのもどうかな…というのも現実的な話。高校生の感覚にすれば都心に行くのはなかなかの遠出、そこそこ高くつく電車賃は自分の日常の予算には組み込まれていませんし、一応・一応・一応は受験生だったし。とか言いながら、電車賃を出してもらって都内に試験に行った帰りには新宿のHMVで買い物をした記憶があるのでなかなかしたたかです。あの時、僕は一体何を買ったのだったっけか。
そんな僕は自身の置かれている『ハイ・タイム』迷子の状況について渡辺さんに話したのでした。なんというか…詰まるところ何にも考えていないんですよね。この時既にオープンキャンパスでのうどんの件は経験済み…彼女が本当にそれを実行する可能性があることを鑑みるべきなのにそれをせず…要は何ひとつ学んでいないということなのですが…或いはもしかしたらという願望も少しだけ抱いていたのでしょうか……それでもそれでもそれでも、本当に本当に本当に、僕は冗談のつもりで彼女に言ったのでした───どこかで見つけたら買っておいてください、と。
ということで、言わずもがな、彼女はそれを見つけてくれ、買ってきてくれたのでした。可愛らしい女の人が買うにはちょっと違和感がありそうな、銀行強盗が真ん中に映っているジャケットの『ハイ・タイム』。

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買っただけの話なので、渡辺さんは恐らく今に至るまでこのアルバムを聴いたことがないはず。前述したようにミッシェルのディスコグラフィの中では結構影が薄い印象がある作品なのですが、ミッシェルはこの2ndと3rdの間でひとつの転換点を迎えているように感じます。音楽観としても詩にしてもどことなく気楽で風通しの良さがあったミッシェルはここまで、3rdからは少しずつシリアスさへ、ヘヴィな方向へ進んでいきます。だからこの地点でのミッシェルには輝かしいばかりの青さがまだあって、それは曲名にも表れているけれど───恋をしようよ ───僕はどうしたってこのアルバムに”リリィ”が入っていることにともかく感動してしまうのでした。最高のポップソング。ロックとかロックじゃないとか本当にどうでも良いし、ミッシェルはロックバンドだったから最高だったのでは決してありません。こんなに可憐で素敵なポップソングをクールかつ実直に誠実に素直に演奏してしまうからミッシェルは最高だったのです。
言うまでもないことかもしれませんが、”リリィ”とは村上龍の『限りなく透明に違いブルー』からの引用らしく、だけれどもそれを知っていても知らなくてもマジ名曲という評価は変わらず、何故ならばここには弾け飛ぶ勢いの愛情が詰まっているから───「晴れたらソファで 何を見ようかリリィ 雨ならシャボンに くるまれたいね リリィ」。
正直に言って僕は村上龍の良き読者ではない…どころか『限りなく透明に違いブルー』はこれまでの読書体験の中でもダントツで不快の部類に入ります。扱う題材そのものへの忌諱、つまりセックスドラッグロックンロールのようなアウトサイダーの標語は当時から全く好きでなかった(し、その嫌悪感は大人になればなるほど増していった)のだけれど、唯一僕がこの小説においてグッとくるのは主人公が常に抱えるリリーへの視線でした。主人公にとって彼女だけは別格の扱い、自分の世界の一部からは意図的に遠ざけている風が物語の全体に貫かれていて、そこには愛情と憧れがあるように感じるのです。下手をすれば家族愛よりも尊いかもしれない感情…その対象がリリー、主人公はもうとにかくリリーに憧れていているのでした。
ミッシェルの”リリィ”ではまさにそれが鳴っています。曲の始めで「こめかみ指で こじ開けてから 意識トバして 帰るよ リリィ」と歌うことで始めから「帰る」ことを宣言し、そして実際に「晴れたらソファで 何を見ようか リリィ 雨ならシャボンに くるまれたいね リリィ」という詩で曲が締め括られれば、リリィが帰る為の家 = 落ち着く為の空間であることが自然と分かります。ここには自由奔放な希望と素直な愛情しかないように聴こえてしまうのです。初めて聴いた時にはこれが村上龍からの引用だとは全く知りませんでしたが…まだハルキにも手をつけていない頃合いでした…そんなことを後から知ったところでミッシェルの”リリィ”の素晴らしさには全く傷が付きませんでした。
そしてこの曲によって、渡辺さんに感じていた朧気な輪郭がはっきりしたようにも思います。僕にとってのリリィは彼女であるような感覚、彼女は僕が落ち着くことのできる数少ない場所であるような感覚がより深まった気がするのです。『ハイ・タイム』を買ってきてくれた実際の行為、”リリィ”という爆裂に素敵なラブソング、それらが綺麗に繋がり混じり合ったことで、彼女の素敵なお姉さん感がよりくっきりと明瞭になったのだと思います。実際のところ、それ以降に僕は彼女のことを心の中でリリィと呼んでいたし、今でも”リリィ”を聴いた時には真っ先に彼女のことを思い出し、あの頃の感覚を色々と思い出したりもするのでした。リリィという言葉の響きも大好き。声に出して読みたい日本語ランキングで常に上位にランクインしています。
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もうひとつ、渡辺さんことリリィのことを思い出す曲があります。少しだけ先に触れた曲なのですが、ミッシェルが自主のインディレーベル(だったのかな?)から出した”GIRL FIRIEND”という曲がそれです。この曲の詩は当時の僕の何もかもを気持ち悪いくらいに示していました───「世界はくだらないから ぶっとんでいたいのさ 天国はくだらないから ぶっとんでいたいのさ 希望は嘘だらけで ぶっ飛んでいたいのさ だから僕はあの娘と ぶっ飛んでいたいのさ」。
自分を取り囲む何もかもが本当にくだらなかったし、どこかへ逃げたくてたまらなかったのだけれど、そんな僕を現実と繋ぎ止めてくれていたのが音楽であり、音楽がもたらしてくれた周囲の人たちとの交流こそが唯一の命綱でした。そしてその中でも、渡辺さんことリリィの存在感には凄まじいものがありました。よくあるように、振り返ってみたら云々…みたいなことは誰しも経験すると思うのですが、それの僕バージョンはまさに渡辺さんのこと。親しさと憧れと実態の掴みきれない危うさと…人間を魅力的にする要素を綺麗に手にしていた渡辺さんのような人に出会えていたことは生涯における財産と呼べるかけがえのない経験なのですが、それに気付くことができていなかったというのはまあ若かったというか幼かったというか、そういうことなのだろうなと思います。退廃的だったくせに周囲の人たちには恵まれていたヒラノ青年は、人のことが大嫌いだったのに大好きだった訳ですので、渡辺さんのようなケースが今後も当たり前に連続するのだと思ってしまっていたのでしょう。そんな彼に僕はどうしても言いたいのです───周囲の環境に甘んじてその外側にあるものを軽んじてはならない、と。世の中にはなんとなく君が感じていたのと同じくらいに、またはそれ以上に邪悪なものがある、と。世界には本当にくだらない人たちや価値観がごろごろしている、と。そして鋭く正確にそれを見抜いていたその感覚を君は誇りに思って良い、と。
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僕の受験はその適当さ加減と見事に合致した結果を齎し、中の中くらいの大学に進学することになりました。と言って、それに対して特に大きな感慨もなく…より偏差値の高いところに行けていればベストだったのだろうけど状況的には決してバッドではない…最も喜ばしかったのは当時の僕に逃れられないものとして呪術的に取り憑いていた高校生活がとうとう終わること、ただそれだけでした。
なのですが、もし仮に、リリィがいるから…というちょっと不純な理由で彼女の通う大学に向けて猛勉強していたら…と考えると少し不思議な気持ちになります。というのは、その大学にはmihauのまめちゃんとよっしーが通っていたからであって、僕は少し早く彼女たちに出会うことになっていたかもしれないからです。そして、少なくとも実際に起こっていたことは、リリィと彼女たちは同じ場所で同じ時間を過ごしていたということ。互いを知らずに生活していたというだけで、きっとすれ違っていたんだろうなあ。だし、僕がそこにいたら、彼女たちとリリィが知り合っていた可能性もあった訳ですが…こういうことってすごく「人生」という感じがします。一方、僕が彼女たちの大学に通っていたら、僕の愛しきジャジーな先輩であるマキさんとまっすーさんには出会ってなかったと思われますので、これもまた「人生」という感じですね。
さて、ノーフューチャーが故に大学生活にもさして希望を抱いていなかった僕ですが、入学にあたって唯一熱心に取り組んだことがありまして、それは入学式用のスーツ選びでした。適当に着ている感じのスーツ、野暮ったく見える中肉中背な形のスーツとか、ズートみたいな大きなもの、あるいは肩パットの大きく入った形状のものとかはマジ論外。重要だったのは丈の長過ぎないジャケット!!! 足元に向けて締まったズボン!!! 全体が細身のシルエット!!! モッズスーツ!!!ということ。でも僕のイメージするそれはザ・フーやスモール・フェイセズのオリジナルモッズでもポール・ウェラーのリバイバルでもなく、ただただミッシェルのものでした。骨ばった細い自分の体型は長年のコンプレックスで、特に小さい頃にはかなり馬鹿にされたので本当に嫌だったのですが、それがモッズスーツに至って急に反転、生まれて初めて細身で良かったと思えたことはかなり喜ばしい出来事でした。
普段はろくに会話もしない息子が、スーツに至った途端に珍しく細かい要求をしてきたことに両親はかなり戸惑ったと思いますが、ダメということなく僕の希望に合ったスーツを一式揃えてくれたことには今でも感謝しています。そうして人生初のスーツは本当に格好良いものとなり、それを着ている自分に酔いしれつつ、その一方でミッシェルみたいな鋭さが自分には…少なくともスーツを着ている自分の表情にはあまり見受けられないことを通じて…「僕はロックではない」というささやかな衝撃と落胆を感じながら…僕は初めてアイデンティティというものが他の人だけでなく自分にも実はあったのだということを理解したような気がします。
大学に進学する頃にはROSSO活動休止 → 代わりにThe Birthdayが安定して活動中という具合でしたが、この辺りから僕は彼を追うことがなくなりました。いや、心のどこかではずっと気になっていたのですが…彼がSNAKE ON THE BEACHというソロを始めた時は「うわ!!」と思ったりね…大文字でいう「ロック」とは違う世界を明確に知るようになり───合言葉はジャズ。ジャズへの道筋はブルースが作っていたのですが、ジャズが自分の価値観に流入してきた時に、点在していたあらゆる音楽がひとつにまとまったような感覚がありました。それはまた音楽にまつわる僕の中の革命的な出来事───そこから僕は「ロック」な生活とはまた違う所へと向かったのでした。
音楽観の転換と、高校生活という地獄の終わりは間違いなく関係していると思います。高校を卒業してからもリリィと連絡を取っていれば良いのにそうしなかったのは、窮屈さから逃れたという気持ちが大きかったからではないでしょうか。渡辺さん自体はそこに属している人ではないと分かっていたはずですが、細かいディティールまでは完全に掴み切れていなかったのかもしれません。あの時に彼女との連絡を断たなければ、彼女はきっと僕のモッズなスーツを誉めてくれていたのだろうなあ…そんなことを時折思い返すから、相模原に訪れる度に彼女がどこかにいないだろうか…と見渡す癖がついてしまいました。彼女は今の僕をどんな風に褒めてくれるんだろうか。
少しコースが違っていれば、同じようにモッズなスーツを着たボブソンも近くにいたような気がします。僕たちは隣同士でスーツを着て…なんてこともあったのですかね。あったかも。なさそうだけども。バンド組んだりしていたのかな。あったかも。いやないかな。どうだろう。僕は元々ギターを弾きたかった訳でも歌いたかった訳でもなかったから、アベフトシまたはチバユウスケポジションはボブソンに譲ったと思うけれど、彼は彼で謙遜しそうだなあ。
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そう、チバユウスケ───これは全てチバユウスケにまつわる話なのだ。こんな具合にダラダラと長話が出来てしまうくらい、あの人が僕に与えた影響はとてつもなかった───そんなことあるだろうか? チバユウスケというたったひとりの人に接近したことで、ひとりの人生が大きく動くなんてことが? 思い出すことを部分的に抜き出して個人史を書いてみたら、結局5ヶ月もかかって、しかも終わる気がしないからという理由で切り上げるということが? どれだけ言葉を尽くしても、何ひとつ彼について語ることができていないという実感ばかりが膨れていって、ただただいたたまれない気持ちになるということが?
───ところがあったのだ。そしてまた、同じような経験をした人がこの世界には山ほどいるということも分かりました。それは訃報後のTwitterのタイムラインを見ていれば自明でしたし、語られたこと以上に語られない思い出と忘れられていく思い出があって、それが連なってこの世界の一部分を形成しているのも自明でした。ひとりの人間の死が、その人の凄まじく魅力的な引力を改めて示していきました。しかしそれがはっきりと示されているからこそ、僕にはまだ腑に落ちていないところがあります。彼は本当に死んでしまったのか? こんなに生きている感じがするというのに? 嘘だろう?
チバさんが格好良過ぎて、僕は自分の中のロックンロール精神に疑問を持つことになりました。自分のサウンドはロック調の歪んだギターにないことを痛感することにもなりました。そのおかげで今、僕は一概にロックとは言えない、客観的に見るとちょっと不思議なのかもしれない音楽を演奏しています。人から「奇妙」と言われたり「割とストレート」と言われたりするバンドです。マジ人生ですね。
どれだけ憧れていたとしたって、チバさんご本人に会いたかったかは結構微妙だったりもします。音楽を続けていく過程の中、どこかですれ違うことくらいは起こり得たかもしれませんが、純粋な音楽性に絞って考えれば、チバさんとの邂逅は決して起こらなかったとも思います。だけれども、本当に仮にそれが起こる世界がどこかにあって、何かの拍子でそれが実現していたとしても、彼に会うことはベストではなかったように思うのです。それは自分の10代のイメージが壊れるからとか、そんな野暮な話ではありません。そんなくだらないことを言いなさるなよ。そうではなくて、僕は間違いなく、一度会ってしまえば彼のことをもっともっと好きになっていたことが分かるからです。そうなっていたら僕の世界はさらに揺れ続けていたでしょう。世の中には片思いで終わって良かったというケースがたくさん存在します。そしてチバユウスケへのそれが片思いで終えられたことは、本当に良かったことだと思います。
5月になってしまいました。他にやることがたくさんあったとは言え、追悼文を書くにしては時間がかかり過ぎ。実は坂本龍一さんが亡くなった時にも書いていたものがあったのですが、ちょうど一年前くらいは書くことに対して何も出来ない気持ちが強く、結果断念してしまいました。ということもあって、強引ではあるもののチバさんの文章をまとめることが出来たのは良かったのですが、亡くなってもうすぐ半年というタイミングで表に出る追悼文なんて論外ではあります。いやでも、これは僕がチバさんとの間に勝手に築き上げた20年近い一方通行の交際を巡る話なのであって所謂追悼文ではないし、積み重ねてきた長い時間を振り返りながら約5ヶ月である程度まではまとめたのだから、許して欲しいとも思います。
いやしかしチバさんがいない世界というものもあったのだなあ…と感じながら、あなたを本当に愛していたと伝えたいです。伝わるでしょうか。沢山の人生の動きと、脆かった僕を支えてくれたこと、そしてボブソンとリリィのような、本当に素敵な人たちとの出会いを与えてくれてどうもありがとうございます。あなた程ではなくても、僕も少しは格好良い「大人」になれているでしょうか。ゆっくりおやすみください。チバユウスケ氏のご冥福をお祈りいたします。
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