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>>> some words? = thinking (or sinking)

ここはヘブン、か? ━━━Klan Aileen松山さんとレコーディングした話

これを書いているのは2019年7月29日。東京は梅雨明けをしました。平年より8日遅い? 昨年より1ヶ月遅い? って言うのは、そもそも比較対象として正当なのかが正直よく分かりませんが、そんなこともあってまあ暑く、ムシっとしていて、なんだか集中力を欠く陽気です。ただ僕が今集中力を欠いているのは気候のせいだけではなくて、ヘヴィメタルな感じの頭痛のせいでもなくて、身体全体を覆うデイドリーミングな感触から未だ抜けきれていないからです。


これを公開している頃合いには、きっと僕たちの音楽を耳にされている方もいるのだと想像します。STYLOにお越し下さった方もいるでしょうし、会場で『grft』を購入してくださった方、早速聴いてくださった方もいるでしょう、場合によってはBandcampでダウンロードしたよ、なんて方もいるかもしれません。とは言え、現時点で言えばそれは僕の空想の域を超えていません。書いている今からすれば、それは未来のお話だから。なので、そんな皆様方がそこに存在してくれているとしたら、それが儚い幻でないとしたら、あなた達に向けて、本当にありがとうございます。僕の声は届いているでしょうか。


バンドの演奏自体が上手くいったのかは分かりませんが、何か良い感触を、僕たちだけでなく聴いてくださった皆様にも与えていることができれば、もうそれでひとつの目的は達成したように思います。加えて『grft』に関するアレコレはもう事前に書いていたことなので、ここではあまり深掘りしませんが、あれを聴くと今でも不思議な気持ちになります。僕は未だにmiddle cow creek fallsが構築してくれたあの音楽に囚われていて、街の中を歩いている最中に突如あの響きが聞こえてくる瞬間があり、それが誰の音楽なのかがよく分からなくなる瞬間があるのですが、それには果たして慣れたりするものなのでしょうか。


7月29日の僕を夢見心地にさせるものはもちろん色々ありますが、明日DJしたりするしね、でも少なくとも今、頭の中の大半を占めているのは昨日のこと。忘れたくはないからこそ、僕を覆っているデイドリーミングの感触の故についてここに記録しておきたいと思います。これは過去から未来へ向けて流れ出した船。その軌跡を知るのは先の話。連綿と続く風景の一環。


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STYLOにご来場頂いた皆様へ、入場特典を差し上げていると思います。それはもう見たまま、手紙というか、メッセージカードです、でも手紙かなあ気持ちとしては。180枚弱くらいの手紙をmihauの皆で書き上げる予定で、それが皆様の手元にはあるはずです。誰が読むのかもよく分からない手紙を書くこと、それ自体は(当然なのですが)恐らく全員が未経験でしょうから、まあ摩訶不思議な感じになりつつ、数週間後くらいにはそれをせっせと皆で書いているのではないかと想像します。


その手紙にはダウンロードコードが付属する予定です。小さな紙切れです。

それこそが僕のデイドリーミングの理由です。


dysfreesia + mihauは昨日、”ヘブン”という曲のレコーディングをしてきました。

あの紙切れに書かれたBandcampのURLへアクセスして頂き、コードを入力すると、曲をダウンロードして聴けるようになっています。


当初の予定ではバンド自体のレコーディングをすることは(『grft』のアイデアが弾けた瞬間にその考えが自爆してしまって)全く考えていなかったのですが、STYLOを共に企画してくれた山本チーズさんと打ち合わせしている際に来場者特典の話が出て、でも僕たちで用意できるものなんて今何もないなあ、middle cow creek fallsに創って頂いた音楽もアウトテイクなかったし、と言って単にステッカーとか配るのってなんかねつまらないよね、と逡巡した結果、一曲だけレコーディングしようかな、と思いついたのが5月の末日。で、バンドの皆に提案したのがその数日後。実際に日程を決めたのが6月半ば。レコーディングの各手配をしたのが6月末。そして昨日7月28日に決行、という塩梅で進行していました。今考えると、まあ上手い具合に進めることができたな、と大変感慨深くもなります。ここ半年くらい、音楽に関することの僕のラッキーさたるや凄まじく、その反面で日常的なことがズタボロ過ぎるという反面もあるのですが、音楽がうまくいくなら良しとしましょう。


今回のバンド関連で最も厳しい箝口令が敷かれていたのは、昨日のレコーディングのことでした。この箝口令を発したのはもちろん僕なのですが、かく言う僕が昨日のレコーディングに関してはすんごくおしゃべりしたくてうずうずしていたりでして、果たして黙っていられたのかに関しては神のみぞ知るですが、それは「バンドのレコーディングは当面しません」という周囲の方々にすら重ねていた軽薄な嘘の存在と影響ももちろんあるのですが、それ以上に、レコーディングのエンジニアとしてKlan Aileenの松山亮さんに参加頂くことに依拠していました。松山さんに自分のバンドの初録音を、僕個人で言えばそもそも初めてのレコーディング経験を担当頂くこと、それはまるで夢のような出来事だったのです。


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端的に言うと、僕はKlan Aileenの追っかけです。僕が現時点で明確に追っかけていると言える日本のバンドはKlan AileenとOGRE YOU ASSHOLEだけです。このふたつのバンドに関しては、都合がつく限り、というか邪魔する他の用事は払い除けてでも都内のライブは行く、というスタンスを突き通しています。


Klan Aileenを初めて観たのは、サーストン・ムーアの前座としてリキッドルームに出演していた時でした。調べてみたら2017年9月21日とのことなので、偶然にもSTYLOの丁度2年前くらいです。ソニック・ユースになりたいと日々考えていた平野青年にすればまあ当然行くよね的サーストン・ムーア来日公演、その前座を務めるのだからそりゃ良いバンドだよね、良いバンドでないとむしろ困るよね、という前提がまずあって、かつ田中宗一郎さんがThe Sign Magazine周辺でもKlan Aileenのことをもの凄く褒めていたのも知っていたので、かなり楽しみにしていました。


で、そのライブを観た結論から申し上げると、とても変な印象を持ちました。というのは、まずあのステージにドラムとアンプ数台、ていうかなりすっからかんな、殺風景とも言えてしまいそうな楽器の配置が成されていて、それでいて鳴っている音はめちゃ轟音。しかもその音には、ノイズの成分が確かに多く含まれてはいるけれども、ノイズが持つ排他的な鋭さ云々というよりはかなり空間的でアンビエントな感触。だけどそのアンビエントは聴き手を優しく包むというよりは、「おいでおいで」と楽しげに手招きされるので行ってみたら身体に一本ずつ釘を刺されていくような、しかしその釘の痛み自体が快楽になっちゃうようなアンビバレントなもの、Sunn O)))と質感自体は違うけれど、抱えているものは近いようなもの。で、その空間的なギターに対して、あのパンキッシュなドラム。リズムの縦軸に対して極めて忠実で、横揺れという概念自体がそもそも眼中にないような、極めて直線系の陸上選手みたいな演奏。ハードコア。それらが混じって発される瞬間の、かなり殺伐としていながら豊かで、豊かなのに切実で、切実なのに諦念たっぷりで、諦念たっぷりな割に感情的で、というあらゆる矛盾が詰まっている音。矛盾だらけなのに、それらが溶け合ってしまっていて、もの凄く説得力があるし、聞き手に対して素っ気ないけど極めて誠実な音楽。



なにあれ? あの音、本当にふたりで鳴らしているの? ということへのクエスチョンが巨大過ぎて、まあ今考えればその時点で実はもうノックアウトされていて決着は付いているってことなんですが、曲が良いよね演奏が良いよね的な印象を全部すっ飛ばしてしまう程、あの音が僕に与えた衝撃度は異様に高く、その後に出てきたサーストンのギターノイズでむしろちょっと安心する、という塩梅だったりもしたのです。


その印象が上手に消化できないまま、常に胸の中につっかえが残っている日々を過ごし、でもその感触にも慣れ始めたかな、みたいな頃合いに丁度『Milk』が発売されて、そりゃもう飛びつくように聴いたら完全に、最高だ、となりました。パンク的な要素は生存しているけど、どちらかと言えばミニマルでエレクトロニックな印象を持つ作品で、彼らが所謂ロック一辺倒的な作家でないことはすぐに分かったし、しかしそんな中でもロック的なリズム、そこへの敬意をベースに持ち続けることへの一種偏執的・狂気的な愛情と拘りも感じたりで、そういう自己矛盾がそのまま音楽に仕上がっているような印象でした。そしてとても美しい。とても傷だらけなのだけど、その傷の裂け具合のひとつひとつが異様に美しい。



そこから改めて彼らのライブに行き、最高だよ、をどんどん更新していき、結果どハマりする、CDもカセットも買う、Tシャツを買う、ZINEを買う、という過程を順調に踏んでいく訳で、ようは本当にただのファンだし、今でもそうです。多分このルーティンのようなものは引き続き継続していくと思います。好きだからね。良いでしょう別に。


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『Milk』が発売された頃合いには既にmihauは始動し始めていましたが、僕たちとKlan Aileenが繋がるとは微塵も思っていなく、まあいずれは知り合いとかになれたら良いね。素敵やん。と邪な欲望を抱えていたことは確かですが、それも現実味があるかどうかで言えば全くない。僕の過度な妄想。という感じでした。松山さんが出張エンジニアとして録音をしてくれる、ということ自体ももちろん把握をしていたのですが、まあ先の話よね。数年後とかにできれば良いよね。的な。


それに対して僕がやや消極的というか、自信なさげなのは、はっきり言って僕が臆病者であるだけなんですが、それには松山さんがZINEで書いていた「フォークミュージックが嫌い」という言葉の存在も大きく関係しています。僕自身はフォークという音楽が大好きで、あの素朴さとか、手触りの良さとか優しげな表情がもうたまらなく愛おしい。いつだって抱きしめていたい。というマインドの持ち主なのです(一応書いておくと、僕は和製フォークとか四畳半フォークと呼ばれるものの良き理解者ではありません。嫌いではないですが、自分の愛情を傾けるものではないと感じることが多いです)。他の方々からdysfreesia + mihauの音楽性に対して聞かれた時の回答として、「フォークの素朴さにちょっと飽きちゃったから、試しにコーラをかけてお茶漬けみたいにして食べてみたらこれが意外と美味しかったみたいなサウンド」と答えながらはぐらかしたりして、しかしその言葉には実に真実が含まれているとも思っていたのですが、僕の音楽的要素の核には間違いなくフォークが大きく存在しているので、そこがそもそも嫌いだとしたら、松山さんは恐らくこのバンドは好きでないだろうなあ、と考えていたのは事実でした。だから早い話、僕の気持ちは一方通行なのだろうな、ということですね(フォークという音楽観への是非によって僕の感情が一方通行であることを知ることは実はこれが初めてではありません。菊地成孔さんもそうでした。もちろん菊地さんに関しては直接の面識はないですが、恐らく菊地さんは僕たちのことを好きにはならないだろうと感じています)。


それがゆるっと動き始めたのが2019年1月25日のこと。池田若菜さん・内藤彩さんという昔からの友達のバンド=THE RATELが下北沢THREEでイベントをするということで遊びに行った時、松山さんがそこにいらっしゃっていて、いる、と瞬間的に思い、話しかけないと後悔するのでないか、というなんとも不可思議で細やかな衝動のようなものが訪れて、恐る恐る話しかけてみたのです。そこで驚いたのが、松山さんが僕を朧気に把握されていたことでした。恥ずかしげもなく書いてしまえば、僕はその時点でもう有頂天です。心の中でカーニバルが繰り広げられてました。高嶺の花の女の子に自分という卑しい存在を記憶してもらっていた→嬉しいなあ的なやつですね。どうやらですが、物販の時に対面したことを記憶されていたようで、その話を伺った時に僕の中での松山さん像がちょっと変革しました。冷たい人なんじゃないか、という印象から、意外と(失礼)この人誠実で、他人に対しても熱のある人なのでは、と。その時にふと出張レコーディングのことが頭を過ぎっていき、聞くだけ聞いてみようという気になって、どんな音楽性でもレコーディングはしてくれるのですか、と尋ねたところ、もちろんです、という風に仰っていました。その言葉を受けた時に、いずれmihauの録音をするのであれば松山さんに録音頂くのが最も適切でないか、という考えが生まれたのです。松山さん自体が僕たちのことを好きになるかどうかは別問題として、少なくとも僕は彼の音楽へ絶大かつ到底崩れそうにもない全幅なる信頼があるのだから、彼に録音をしてもらうことは選択肢として間違っていないのだ、と。


とは言え、その時点でのバンドの状況を考えるとレコーディングをすることはあまり時期相応でなく(鍵盤奏者が落ち着いていなかったのです)、かつ『grft』のアイデアの最初期段階の瑣末も浮かんでおり、4月半ばくらいにはmiddle cow creek fallsに依頼をし制作も進み始めてはいたので、レコーディングはまだまだ先のお話。という気持ちには変化がなかったのですが、それが前述した来場者特典の話の段階で急激に現実味を持ち始め、その頃にはのんちゃんもバンドに参加してくれていたので、では動いてみようかな、と思い。迷わず松山さんへメール。THE RATELの時に少しお話しできて嬉しかったです、という何処のアイドルファンだろう的な文章を書かずにはいられなかった自分自身の隠れた性質を発見しつつ。松山さんからのお返事はmiddle cow creek fallsの時と同様で素早く、しかもそこには、「メガネの方ですかね?と雑な聞き方ですみません」とあり、この人記憶力が良いんだなあと驚きながら、レコーディングの話を依頼して、トントン拍子に話が進んでいきました。


依頼をした数日後にはKlan AileenとTHE RATELの対バンだなんていうちょっとヤキモチ妬いてしまうくらいの大変良いイベントが秋葉原CLUB GOODMANであったりで、もちろんそれにも普通に遊びに行ったわたくし、いざ、と物販をしていた松山さんに改めてご挨拶に行ったところ、僕の顔を見るなり、うわあ、と驚くくらいに松山さんの目が大きくなって握手を求めてくださり、いや生存してて本当に良かった…とウルッとなりながら手を握り合って。その時には”ヘブン”のスタジオセッションの音源を松山さんには先に聴いて頂いていたので、あの曲どうでしょうか………と恐る恐る尋ねてみたところ、岡田拓郎くんみたいなスケールのある音楽だと思いました、と解答頂き、これがまた僕の心の襞を著しく揺らしていったのでした。というのも、森は生きているや岡田拓郎さんの音楽自体を僕が好きだっただけでなく、前述した松山さんの「フォークミュージックが嫌い」発言自体が、実は岡田さんの音楽性、あるいは彼の凄まじいアイデアや耳の良さへの賛辞の一環にされていたものなので(ここに関しては是非Klan Aileenの物販に並ぶZINEのNo.3を読んでみてください、もちろん買うのだよ)、自分にとって都合良く考えていけば、それって決して僕たちの音楽が嫌いではない、ということではないかなと感じたりして。レコーディング、思っていた以上に良いものになるのではないかな、という予感がした瞬間でした。


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レコーディング当日。到来していた台風6号、その名もナーリーが関東を直撃するのでは、という懸念が強くあったものの、ナーリーは志半ばで温帯低気圧に変化し、おかげで良い天気。しかも暑い。でしたがフジロックが開催されていた苗場はその前日の大豪雨の影響で会場の7割くらいが浸水しているみたいな情報も聞こえてくる有様、配信でライブを見ていてもカメラ越しに雨粒がはっきりと見えるくらいに確かにすごい雨でございました。そのフジロックですが、アジカンやクラムボン、GEZANのライブが異様に良くてグッときていたのはまだ序の口、その後に控えていたAmerican Footballからデスキャブへ続いたホワイトステージのエモさたるや壮絶で、僕は涙腺がふやけているのを感じながらパソコンのモニターを凝視しておりました。特にデスキャブに関しては今年のベストアクトと言う人が多いのも納得の素晴らしい出来でした。楽曲自体の美しさはもちろんのこと、バンドの演奏力の高さ、細かいところまで行き届いた拘りと集中力の高さが圧巻でした。


その影響をモロに受けた僕、なんだかエモさを引きずりながらスタジオへ行き、楽器のセッティングをして松山さんの到着を待ち。約束の時間通りに録音機材がぎっしり詰まったスーツケースを転がしながら、しかしふらっとやって来た松山さん。ゴッドファーザーのTシャツを着ていたので、好きなんですか、と聞いたら、ちょっと苦笑いしながら、そうでもないです、とのことで、ジャブを食らった気になりましたが、しかしそのジャブも、殺しにかかってくる感じではなくて猫パンチ的な趣だったのでちょっと安心したり。事前にバンドの編成や音楽の方向性の話はしていたものの、mihauが全員女性だとは知らせていなかったので、その点には少し驚いていたみたいですが、それも始めだけ。すぐにmihauの皆の名前を覚えてしまった松山さんに従いながら、僕たちは録音に取り組みました。


こういう風に演奏して欲しい、というような楽曲の方向性に関しては僕の頭の中で鳴っているものとこれまでのバンドの演奏してきたものを基軸にして、松山さんからはそれを具現化する為の録り方の提案・アイデアを色々と頂いたりしました。僕からすればそれ自体がすごく面白いもので、なるほどKlan Aileenの音楽とはこういう発想から生まれたりもするのね、と感じる瞬間も多々あり、大変感銘を受けながら全楽器の録音に立ち会いました。立ち会わずにはいられませんでした。与えられる感銘のその全てを取りこぼしてはならないと直感したからです。トイレ以外ではスタジオの外に一切出なかったことには後々気付くのですが、それは松山さんも同様でした、が、僕自身は完全に浮かれて躁状態みたいになった結果、レコーディング楽しいなあ、を譫言のように垂れ流すことを役割とした人形に転じてしまって実に情けない限り、実際の進行や指揮は松山さんの力によって為され、そのおかげでレコーディングは非常にスムーズに、円滑に推進されたのでした。


人間的に松山さんと僕は実は似ているのではないかな。と思った瞬間が一日を通して結構あったりもしたんですが(松山さんがどう思っているかはもちろん分かりません)、それが如実に出ていたと感じるのはギターと歌入れ、要は僕に関する録音時のことでした。雑談はほとんどなし、単純に録っている音の話だけをし、テイクも二回まで、とかなりミニマルに進めていった結果、スタジオの中に滞在する時間は他の皆より圧倒的に長いのに、実際に録音に費やす時間は圧倒的に短い、というちょっと不思議な結果をもたらしました。僕の心象から言えば、発される音自体は松山さんが的確に捉えてくれるだろう、という絶対的な信頼があったので、単純に自分の演奏したいものをそのままやれば良いだけだな、とかなりリラックスして取り組むことができた点がとても大きかったと思います。お互いをきちんと認識してから経過した時間は指折り数えられる程度でしたが、そういう類の信頼感は時に自然と発露していくこともあり、少なくとも僕はそういう安心感の中でレコーディングをしていました。松山さんと僕はふたりともそんなにおしゃべりなタイプではないですが、洞察力で相手を認識する傾向が強く、言葉によるコミュニケーションはそれの補完として用いる、だからこそお互いを認識するスピード感のようなものは共通していたと感じています。


松山さんの洞察力の話で言うと、レコーディングの終盤でジム・オルークというワードが自然と彼の口から出てきたことは、単純にすごいと思いました。僕の大きな影響源のひとつを、たった一曲の存在を通して指摘した人は彼が初めてです。middle cow creek fallsが発見してくれた僕(たち)のサイケデリックの件も同様でしたが、自分の好きな演奏家の方々に自分の持っているものを発見してもらうことほど、幸福なことは存在しないように思えます。


今回録音した”ヘブン”という曲は少し変わった構造をしていることもあり、時間がかかるかな、と思ったりもしたのですが、最終的には割と余裕を持って終えることが出来ました。スタジオに篭り続けて大凡10時間、全部録り終えて、mihauの皆が買ってきてくれたカツサンドやらサラダ巻きやらチョコレートやらをふたりで分け合いながら、最後は松山さんと握手して別れました。楽しかったです、と伝えると、僕も楽しかったです、と仰って頂けて、なんだかそれだけでもう充分過ぎるくらい素敵なやり取りなのに、これに音楽が付属してくるだなんてすごい話だと考えながら。明日死ぬんじゃないかなあとも考えていたんですが、まだなんとか生きているようです。ここが天国でなければ。


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こんな過程を経て、今皆様が聴いているかもしれない”ヘブン”という曲は存在しています。この曲自体は、僕の抱えている不安感や違和感のようなものの表出ですが、あの言葉たちが持っている機微をきちんと音として捉えることが出来て、個人的にはとても満足をしています。正直に申し上げて、この曲をイベントの来場者特典「だけ」に収めてしまうことに対しても心が揺らいでいます。もしかしたら別の形で世に出すことも起こり得るかもしれません。それくらいに昨日僕たちが時間を費やした音楽には、美しい瞬間が詰まっているように思えます。それが僕だけの感傷や思い違いに留まらず、皆さんの心にも訪れているとすれば、それだけでも価値があるでしょう。


またバンドとして、かなり大切な時期にレコーディングが出来たな、とも感じています。個々が録音されたもの、その出来栄えに対して思うところが多少あるでしょうから、それを普段の演奏にどう活かしていくのか、その内省を促すきっかけをもたらした出来事でした。そういう大きな役割を果たした一日を、松山さんと共に過ごせたことは本当に貴重だったと思います。僕自身は未だにふわっとした夢の中にいるようで、その夢のせいか否か昨夜から謎の頭痛に襲われながら、この気持ちを記録しなくてはならない、と今文章を綴っています。


また松山さんと何かしたいな、という気持ちが既に芽生えています、というか、昨日のレコーディングの時点でもうありました。これは継続して育んでいくべき関係性の萌芽ではないのか、と。それ、その何処かで待っているかもしれない未来について考えると、心が軽快なステップを踏んで遊び始めるのがよく分かります。始まったばかりの道程ですが、ゆっくりと歩んでみて、その何処かでまた再会した時は、よろしくお願いいたします。楽しみにしています、とても、とても、とても。


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2019年8月3日、22時。焦燥的に追記しています。


僕は今日、友人と共に池袋にいました。Black Smoker Recordsがポップアップショップをするということで、ふらっと遊びに行ったのです。買い逃していたK-BOMBデザインのロングスリーブが一着置いてあって、Ras Gのミックス作品とのどちらを買うか迷いながら結局シャツを選びました。この猛暑が穏やかになった頃、きっと大活躍することでしょう。レコード屋さんではLinton Kwesi Johnsonのライブ盤とHank Damicoのベツレヘム盤10インチを買い、しかも結構安かったのでしめしめと思いつつ、友人にはChick CoreaとGary BurtonのECM盤を発掘してあげて、なんと380円という破格だったそれを半ば強引に買わせました。我ながら良い仕事だと思います。そのまま白玉とかき氷を食べに行ったり、つけ麺屋さんに連れて行ってもらったりと、大変充実した休日でした。


でも僕は一日中考えていました。考えずにはいられませんでした。

こんな細やかだけど幸福な日々はいつまで続くのだろうかと。

思っていたよりも早く、この日々は終焉するのではないかと。


あいちトリエンナーレ2019で展示されていた「表現の不自由展」が、その内容が不適切だと名古屋市長に指摘されたこと、抗議の電話やメールが主催者に殺到し、終いにはガソリンを携行して会場に行くと脅迫がされたことを理由に中止となりました。慰安婦を表現した少女の像や昭和天皇の顔を燃やす展示など、何かしらの政治的な背景や倫理観の問題によって展示会から除外された、一種の訳ありのものを改めて集積していたこの展示は、作品内容の統一性よりもその趣旨に重きが置かれていたのであり、美術展示の暴力性を静かに示唆する内容のものでした。


全ての芸術や表現は誰かしらへの暴力である、と僕は考えています。なので作品内容に関して是非の声が挙がること自体は当然、というよりも、そういう多義的な反応がないものは芸術というよりもスポーツドリンクに近いと思っているので、今回の内容が嫌韓思想の持ち主や皇族への尊敬を厚く持つ方、そしてそこと幾分かは関連するであろうナショナリズムを信奉する方から物議を醸すこと自体には驚いていません。僕の驚きは、これ自体は単に面白いなあとも思うのですが、それらの作品たちの多くが、所謂保守層から反発を得たが為に撤去され展示がされなかった、という過去の経緯を共通して持っており、左派寄りと言える作品が「極めて自然に」多くなったことに由来しています。即ちあの作品群は、二度に渡って排除されたということです。徹底的に、しらみつぶしのように、追い回されるようにして、彼らは居場所を失っている最中にあります。


表現をする人間の多くは、その何処かに欠損を抱えている場合が多いと僕は思っています。社会的なアウトサイダーである立場から生み出された表現を受容していく、という寛容と人間への深い理解こそが芸術に触れる際の重要な側面であって、それらが如何に多様性を育んでいくのか、という点にこそ芸術の価値があるはずです。しかし今回の件のような、「偏った」表現自体を排斥していくという動きは直接的に社会による他殺行為を意味しています。結局のところ、道から外れた人間には家すら与えたくはない、という潜在意識を遠からず示唆してしまっていますし、また今回の件の支持者はそう言いたいのだとも思っています。つまり、輪に入ることができず順応できない邪魔者たちはさっさと死ね、と。


表現に対して嫌悪的な反応をする人自体がかなり明確に炙り出され、多様性を否定する趣を持っているのが僕たちの隣人である可能性も高くなっている、という点からも、一般的な人間の情緒が排他的かつ内向きに傾きつつある世相の様が垣間見え、もっと単刀直入に言えば第二次世界大戦前の日本の様子を再び辿っているようにも思えます。この国に生きる人々の決して少なくはない方が、何者かからプレゼンテーションされた危うさに扇動され(それを語るものは誰か、簡単ですよね)、恐怖に飲み込まれ、だからこそそれを認めず躍起して排斥しようとしている気配。その気配の足音は、まさにファシズムのそれと同様です。その足音のリズムは徹底的に揃えられ、そこから少しでもはみ出る人間は非国民と揶揄され攻撃されます。グルーヴとは色々なリズムが共存しているからが故に豊かになる、ということは徹底的に、かつ意図的に見落とされていきます。気付く、という人間的かつ情緒的な心の動作はそもそも必要とされなくなります。


これはなんとも説明し難い偶然なのですが、昨日のこと、僕はKlan Aileenのセルフタイトル盤が発売された当時のインターネット上の記事をたまたま見ていて、その内容に驚かされていたところでした。というのは、作品に関して指摘された「戦争がテーマになっているところもある」という松山さんの発言の存在に依ります。あの作品には確かに、じめっと閉塞した、滞留し続ける淀んだ空気を感じさせる箇所が多々あって、曲名には死を連想させるものが多くあり、さらにはストレートに”Fascism”という曲もあるので、それ自体は不思議ではない、というか、聴感で認識したものを言葉で表現すると当然そうなるよね、と納得させるものだったのですが、それを指摘する発言を演奏家自身がされていることはとても重大であり、かつそのヘヴィな質感への説得力が倍増していきます。



僕たちが同い年であるというのが確かであれば、9.11、それは僕たちが中学校1年生の時に発生しています。僕があの日のことでよく覚えているのは、普段はビデオを流す為の存在であるテレビが珍しく普通の番組を流す為に先生の手によって慌てて付けられた、ということです。僕はその四角いモニター越しに、世界貿易ビルに飛行機が真っ直ぐに突っ込んでいく様を眺めていました。その時の僕自身の感情はあまり覚えていないのですが、胸にあったものは恐怖とは少し違った気がしていて、それは違和感に近かったと思います。普段はテレビ放送を映し出さないテレビによってニュースを見ている、という非日常性も大いに関連しているように思いますが、自分の知っている光景とは明らかに異なっている、異常な何かを眺めている、という違和感です。僕がこの違和感をもっと身近に感じることになるのはその十数年後の2014年、当時働いていた新宿で発生した焼身自殺の事件ですが、しかしその件に関してはここではこれ以上触れないことにします。


1945年の終末、沈静と死(ループしていく)。2001年9月11日、鹿児島と相模原、海の向こうのニューヨークで崩落する塔。2014年6月の新宿、火を纏う人。『Klan Aileen』が発表された2016年10月。2019年8月3日、名古屋の残響をそれぞれの位置で。時間は確かに経過し、僕たちは確実に死へと近付いていますが、果たして僕たちの何かは変化していたのでしょうか。過去と現在との間、そこにあるはずの圧倒的な距離が幻だったのではないかと僕を疑わせるものは、一体なんでしょうか。昔の話には思えない、いやそれどころではなく、この何十年の経過が全く存在していなかったのではないか、何かの変化をもたらしたのではなく、ひたすら同じ位置に停滞していたのではないか、そんな気持ちの只中にいます。


もうひとつの感慨。僕たちは常に同じ位置に停滞しながらも、災厄の気配、その恐ろしげな影だけは伸びていき、今にも僕たちの身体を蝕もうとしている。あなたの繊細かつ敏感な感性が2001年、あるいは2016年に捉えていた影はより濃厚に、そして巨大になっている、そんな気がしませんか。戦争に限らず、魔女狩り、言論弾圧、密告、その類、塞いだ社会がもたらすあらゆる災厄によってあなたは(僕は)死ぬかもしれない。「殺される?」、それもあながち間違ってはいないでしょう。


優れた音楽は時に未来を表します。意図せずとも、そういう質感を手にしてしまうことはままあります。あなたにも思い当たる作品があるのではないでしょうか。そして僕には、あなたの音楽がそういう類のもののように思えます。だとしたら、あなたの作品が映し取ってしまった情景へ向けて、これから先の未来はさらに頽落していき、戦前と戦後は入れ替わるのでしょうか。あるいは既に、入れ替わったのでしょうか。


この社会、もっと大きく言うのであれば世界に対して、小さな、あまりにも小さな存在の中で芽生えた、しかし絶対的な違和感と恐怖感が、僕に”ヘブン”という曲と言葉をもたらしました。僕はそれをあなたに手伝ってもらって、今回形にすることができました。しかし心の底にある本心を吐露してしまえば、あの曲は、あの曲が誰かに必要とされてしまう状況は存在しない方が良いと僕はよく感じています。その方が社会としては余程健全であり、真っ当であり、僕たちは素直に生を謳歌できると考えています。


だからこそ、僕は問いかけてみたいと思い、言葉を綴っています。

2019年8月3日、あと一時間で今日も終わりです。

茹だるような猛烈な熱に包まれたことも、まるで嘘みたいに思える夜の中で。

あなたに向けて。あなたに。

そして僕とあなたの周囲にきっといるであろう、あなた達に向けて。


ここはヘブン、か?

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