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>>> some words? = thinking (or sinking)

小さな部屋からラブソングを、泡沫状のフォークミュージック

僕の故郷とは何処だろう、ということについて最近よく考えます。僕の両親はふたりとも新潟の出身です。僕が生まれたのも新潟なので、出生地が新潟であることは間違いありません。なんですが、当時彼らは既に東京で生活していて、僕が新潟で生まれたのはたまたま帰省していたタイミングだっただけらしく、しかも予定日よりも一ヶ月近く早かった、ということは、僕が新潟という北国で生まれ出でた事態そのものは「ハプニング」だった、と言ってしまってもさして誤りではないことを示しているでしょう。


ということもあって、新潟があなたの故郷なんだね、と言われても、それに対しては全くと言っていいほど腑には落ちません。もちろん両親に連れられて帰省したことは数え切れないほどありますが、ここが僕の生まれた場所だ、ということは理解できても、そこが故郷だ、ということに対しては全くもって違和しか感じません。つまりある意味で言えば、ひとりひとりの人間に与えられる故郷とは、時間の始点や継続によってではなく、記憶の具合やその濃縮の度合いによって設定されていくものだ、ということになるのかもしれません。


その点で申し上げるなら、僕の故郷とは間違いなく相模原になると思います。神奈川県相模原市。皆さんがどれだけご存知かどうかは不明なので一応解説していくと、神社の狛犬みたいな、立ち上がった忠犬ハチ公みたいな形をしている神奈川県の背中にその土地はあります。東京郊外、八王子市と町田市のちょうど真ん中に位置している町です。所謂ベッドタウンで、すごく極端に言えば、家しかありません。もちろんスーパーだとかコンビニだとかはあるんですが、町そのものを彩るような特色が決定的に欠損している、その欠け具合にこそ町の特色がある、という大きな矛盾を抱えた街でもあります。介護施設や障害者の方の施設が多く、町工場もあり、またご存知の方もいるかもしれませんが、「アメリカ」をその胎内に抱えている町でもあります───相模原には米軍基地があるのです。


それもあってか、今思えばあの町は他の土地と比較して、些か特殊だったのではないかと思います。例えば同級生に韓国人の子や中国人の子が、あるいはハーフの子たちがいるのも割と当然でした。あの町で育った子ども達は綺麗に二分していきます。すごく目立つ太陽のような子になるか、すごく目立たない木陰の子になるか。前者は不良になったりマイルドヤンキーと呼ばれるような子になり、対する後者は、そういった活発な子ども達に目をつけられないようになるべくひっそりとして生きていく。僕の育った相模原とはそういう町でしたが、少なくとも僕が見つめていた景色の範疇においては、人種差別を感じることはありませんでした。


でもこれは、僕の目の届く範囲の中での話か、あるいは僕の生み出した幻想であったようです。というのは、事実としてそれを表現の核として抱える人たちがあの町には確かに存在しているからです。相模原はヒップホップの独自な文化を抱えています。僕自身がそのローカルな土壌を汲み取るようになるのはもっと後の話ですが、その存在自体は、普段から生活していれば否応無くアンテナで掬い取ることになるでしょう。町の服屋さんは、少しダボっとしたストリートファッションみたいなものが主流でした。時代性ももちろんある気はしますが、肌感覚としては、それがあの町の中心軸にあったと思います。隣に位置する町田の文化の流入である側面も多少はあるのでしょうが、例え模倣だったとしても、それを完全に真似しきれない感じにもまたあの町の面白さがあるかもしれません。相模原には何処かリラックスした、ゆるっとした空気感が常にあったような、そんな気がしています。


ヒップホップに関わってくる要素の一つである不良文化も、ある程度は実際に身近でした。かつ、それらに纏い付く話、タバコ・飲酒・ドラッグ・その類に対しても、僕自身は手を出していなかったですが、そんなに遠い話だとは思ったことがありません。町田の何処何処に行くと大麻が買えるらしい、とか、学校のトイレでタバコの吸い殻が見つかった、というような話はいくらでも聞いていましたし、マジックマッシュルームという言葉を知ったのはニュースの中ではなく、路上で売られているものを目撃してだったことをよく覚えています。しかしまあ、なんでそんなこと覚えているんでしょうね。


と言うと、どんな町で育ったねん、とやや関西弁で突っ込まれたり、あるいはまるで僕もジャンキーだったかのように聞こえてきそうですが、僕は先ほどの二者択一の圧倒的な後者、木陰の存在だったので、そういったものを視界の中に捉えつつも距離を置いていました。ですけど、それらを知らなかったことにはできません。なので、ざっくり言うと、影響は受けています、間違いなく。あの町の抱える空気感、前述したような肩の力を抜いたような雰囲気もありつつ、そこに否応無く同居する空虚感、平和の渦中にありながらどこか出口のなさを感じていて、しかもそれが鍋の中でぐつぐつ熟成されていくような鬱屈が、僕の現在のメンタリティを構成していることは否定しようがないと思います。


それは恐らく、あの町にいる人たちに共通の感性ではないかとも思います。だからこそ、SIMI LABが出てきたときの僕の興奮は凄くて、僕の驚きは彼らのポッセが確信的に所有している多様性、その先見性にももちろん理由があるのですが、それよりも同郷だからこそ痛切に伝わってくるあの町の空気感、あれをそのまま閉じ込めたような音楽の存在にこそ打ちのめされました、徹底的に。本当にすごい。しかもほぼ同世代がそれをやってのけたこと。それは感動的で、感傷的で、現在に生きることの小さな美しさを捉えていくような、そんな心地がしたものです。何故あの町はあんなに灰色をしていたんだろう、そんなことを最近になってよく考えていますが、彼らもまたあの灰色の淀みを身近に感じて生きていたのだろうと想像します。


───


あの町にいた僕は極めて幸福でした。でもその幸福が、今あの町にいる子ども達にも共通しているかどうかに関しては自信がありません。あれは一過性のものだったのでは? 特定の時代にだけ存在できるような、そんな種の? 急速に内省的になりつつある昨今の国内情勢を鑑みるに、特にそう考えてしまいます。それがどうか僕の考え過ぎであって欲しいと願いながら。


単一民族国家である、という幻に囚われてしまっている貧相な島国において、相模原の土壌とは些か異質だったことをはっきりと意識するようになったのはいつだったのでしょう。兎にも角にも、特に近年に関しては、僕は自分自身の出自と故郷の存在、そしてその巨大さを痛感するようになってきています。人間を構成するもの、水分、たんぱく質、そういった諸々の一端は間違いなく”環境”であるのでしょう。envioroment。しかしその語源にviron=回転を含んでいる割に、日本のそれは循環に伴う変化を酷く嫌い、同じ位置に停滞することを選択しているようです。


育った環境、置かれている環境、それらに人間は間違いなく左右されていて、それは即ち、僕たちが実はかなり植物と近い構造をしていることを示しているようにも最近感じています。根から水分を汲み取っていく。それが汚れた水であれば、それが身体を巡っていく。しかし純化されていくべき泥水を皮膚の下に匿う僕たちとは、いったいどんな存在なのでしょう。そして水が汚れていることは、どれだけ僕たちの思考や感情に影響していくのでしょうか。


誤解を招きそうなので言及しておきますが、体内に巡る水は純粋で、潔癖で、完璧に透明な水でなくてはならない、と言いたい訳ではありません。むしろ僕は、その水と身体の関係のバリエーションにこそ面白さがあると考えています。言うなればアンチ純血主義で、混血であることにこそ人間性の豊かさが育まれるだろう、と。それは人種や様々な主張に対する基本的な視点であると同時に、こと音楽に対する根本的な価値観でもあります。


これは恐らく感受性の鈍感さと鋭敏さ、その両方の要素を兼ね備えている結果なのだと思うのですが、ざっくりと言えば、僕にはあらゆる音楽が全て同じように聴こえます。歪んだギターがないからロックじゃないよね、とか、ジャズは4ビートが最高だよね、とか、本当にどうでも良いですし、理解に苦しみます。もっと言ってしまえば、それがロックだろうとジャズだろうとハーシュノイズだろうとEDMであろうとトラップであろうと、僕の中で音楽の良し悪しを決定的に定めていくのは「その音楽が作り手に対して誠実であるか / 嘘をついていないか」でしかなく、作曲家の持つ作家性、その個々の違いこそがそれの濃淡を決定しているのだろう、という認識でしかありません。


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インターネットの発明以降、その黎明期に当たる僕の世代は、その良き点と悪しき点を共に受容し、それらを半ば無意識的に育んできました。悪意を込めて言うのであれば、極めて無責任に、何も考えないまま快楽へ身を投じ、骨の髄まで享受し尽くした世代です。功罪を共に世界へと放り出した、という表現も決して的外れではないかと思います。ネットを中心に構成された虚妄、それが時折現実へと侵食して鋭利な刃を差し向けていく、そして実際に人が傷ついていく、死んでいく、そういった惨状の基礎を作ったのは僕たちであり、そういった意味合いでは極めて罪深く、今後責任を追求されていくべき世代だとも思います。


多感な日々の中にあった僕たちがインターネットについて教えられていたことのひとつは、この技術によって地域差というものはなくなる、何もかもが均質化される、ということでした。しかもこれらは、なかなかに美化され、過度に研磨されて伝えられてきたことです。そして少なくとも僕自身はそれを微塵も疑っていませんでした。それはある意味では、現在にまで続く僕の極めて熱病的な妄想が所以かもしれません。


しかし実情はどうだろうか、と考えていくとたちまち、インターネットそのものはそれらの格差を如実に示す技術だったように思えてきます。いや正確に言えば、多大な情報がそれを均質化してしまったように錯覚させるだけ、埋め立てられてしまったかのように思えるだけで、実際のところそれは未だに生きているし、人間自身が死滅してしまうことがない限りは淡々と続いていくものなのだろうと思います。


そしてインターネットが生み出した素晴らしさのひとつこそ、その地域性や、世界各地に散乱し、周囲には理解者がおらず孤独へと身を浸らせている、そんな人同士を確かに繋げていく新しい論理が生まれたことだと思っています。もちろんこれ自体にも功罪のどちらも含まれていることは承知していますが、それはインターネットが生まれたからこそ手にすることのできた強靭な糸です。僕たちの部屋の扉は確かに新しい仕組みによって繋がれました。想像している以上に、理解者はいるものだということを示しながら。


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文化を生み出す土着性の最小単位は部屋である、と僕は常々考えています。こう書くと大きな話みたいに聞こえるかも知れませんが、実際はシンプルです。土着性や、そこから生じてくる文化が複数の人間による衝突・折衷に依るものだとしたら、その個人を匿う家の中、さらに細かく言えば部屋にこそ、土着性は根付いているのです。文化をたったひとりで生み出すことはできません。いや正確には、たったひとりでも種を蒔くこと自体はできるのですが、それを発見するのは、当事者ではなく他者です。文化を生み出すには二人以上の人が当然必要となります。


僕たちが細胞の集合体であることと同じように、文化もまた細胞の集合体です。その細胞を匿うものこそが部屋です。で、その集まりが町を構成して、それぞれの部屋の違い、個性が色彩感を生む。部屋の中で育まれるものは、実感こそ持ちにくいかもしれませんが、想像以上に町へと影響しています。これは文化に限らない話です。様々なものがこういった仕組みにおいて成り立っていることは自明でしょう。物事の有機的な連なりを齎す仕組みとは、部屋同士の繋ぎ方とそのアイデアに他なりません。


肌の色やら生まれや出自やら家庭環境やら、そういう有象無象から人間自体は逃走できないのだと思います。それは望んでいても望んでいなくても、人間存在から切り離すことができないものであることには違いありません。しかしそれらが肩へのしかかってくる負担を軽減させることは出来るはず、と僕は考えています。その方法は至極簡単です。それぞれの部屋を知ることです。知を蓄積させて、豊かな土を培養することです。そして僕が思うに、”フォーク”という言葉について考えることは、それを最も適切に認知することを意味しています。フォークは純粋な音楽性を示すものではなく、部屋の違いから表出してくる多様性の在り処に他なりません。


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音楽と部屋を巡る記憶。

いくつかの部屋からの発火。

炙り出されていく景色の数々。


例えば、ジョアン・ジルベルト。大麻中毒者であった風変わりな青年が、ジアマンチーナの小さな部屋の密集する集合住宅の中、近所迷惑を鑑みてバスルームでひとり囁き歌っていたこと。その静かな音楽は新しい波と名付けられた。ボサノヴァの響きは、狭いバスルームとそこに設置されたシャワーからこぼれ落ちていく水滴の響き。


例えば、死に向かうウディ・ガスリーと若きボブ・ディランとの邂逅。自由の国の低層を成す貧困と砂塵の中で健気に生きる力無き民に寄り添い歌い続けた放浪者の最後の日々、その一幕。ハンチントン病に倒れたかつての放蕩者、そんな彼に憧れ、その病床へと訪れた若き詩人は、ホーボーから歌と言葉を継承していく。病院の個室、窓の外に見えるニューヨークの景色。


例えば、銀座七丁目の銀巴里。日本初のシャンソン喫茶の深夜、「新世紀音楽研究所」と名付けられ行われていた極めて実験的なジャズの記録。高柳昌行、菊地雅章、金井英人、富樫雅彦、日野皓正、山下洋輔、日本のジャズの独自なアイデンティティを確立していくことになる、そんな錚々たる若き演奏家たちの駆け引き。互いへの焦燥、憧れ、それらが多分に入り混じった、歪で真摯な音楽とノイズ。


例えば、エリック・サティ。家具のように生活に彩りを加えながら、それ自体は日常に埋没していく存在のような音楽。積極的に聴取するのではなく、自然と聴こえてくる、そんなささやかな存在。家具の音楽を創造することは思考をデザインする、音楽を聴いているのは誰なのか。音楽を演奏しているのは誰なのか。


例えば、キース・ジャレット。部屋にただ一台設置されたピアノによってひっそりと演奏された音楽たち。慢性疲労症候群に悩まされた天才を献身的に支えた美しき妻に捧げられたピアノの響き。あなたと共にある、夜における旋律。飾り気のない、しかし確かに花が愛を語っている、そんなひとときは永遠と隣接している。音楽の中で。


例えば、マッドリブ。「持続する音楽を作りたいのならオリジナルでいるべきだ」、その信念を元に、密閉的な部屋に据え置かれたレコードの山から音楽を引きずりだり、それを切り取っては貼り付け、再構築していく。それは彼の為の部屋なのか、音楽の為の部屋なのか。そしてその系譜にある、たくさんのヒップホップたち、その影に息づく、たくさんの人間の生と死、それを収める部屋の数々。ビートは進んでいく。


例えば、アルノルト・シェーンベルク。月の下に佇む恋人。女の語ること。私の身籠る生命は、あなたとは血が繋がっていない。男が語ること。影が見えるのはあなたに光があることの証明だ、全てを曝け出したあなたの心によって僕の心は洗われた。男の赦し、不穏さと諦念と愛が複雑に噛み合った、その感情の複雑な色彩。ふたりの夜は清められた、のか。音楽は言葉より雄弁に感情を語る。


例えば、アルフレッド・ライオン。アメリカのジャズに魅せられて、単身ドイツを飛び出す。働きながらレコーディングをしていく。兼業。食べ物や酒をふんだんに用意し、演奏家への敬意と愛を示していく。リラックスした部屋にはたくさんの色をした演奏家たち。白、黒、褐色、その何もかもを平等に扱い、決して変化しなかった彼らへの敬意。人種ではなく音楽に対する愛情。確かな音楽だけが認められていくスタジオ。


例えば、ラ・モンテ・ヤング。長い時間、あるいは永遠に演奏される宿命を持った音楽の創造。そして生み出される音楽に通底している、部屋の存在。会場そのものを音楽の要素と設定された楽譜、そこに書かれた指示は、真っ直ぐな線を描きそれを辿ること、火を起こすこと、蝶を放つこと。そして夢想された、一時は実際に現実に表出した、永久音楽劇場。永遠に続く音楽が聴こえる部屋。ネオンピンクの色彩。永遠の色と音。


例えば、チェット・ベイカー。音楽的才能と精悍なルックスによりたちまち寵児となるが、ドラッグへ耽溺していき、それが理由での喧嘩によって前歯が折られる。部屋の中で嗜むヘロインの為に捧げた代償、美しいトランペットと囁くような歌の響きの喪失。差し歯によって演奏活動を再開するも、最後はアムステルダムのホテルから転落して死ぬ。アスファルトに打ち付けた血塗れの男の死体が語るは、部屋の外への脱出。


例えば、ジェフ・トゥイーディ。2000年のスタジオ、音楽性の深化に伴う周囲の無理解、バンド内の人間関係の悪化、ギクシャクとしたコミュニケーション。トイレの個室で嘔吐する彼を容赦無く捉えるカメラ。『Yankee Hotel Foxtrot』の混沌が、9.11以降のアメリカを偶然にも捉えてしまうことに”なる”、そんな未来をまだ知らない、彼の弱々しく、虚で、しかし優しげな瞳。どうか泣かないで、君は僕を頼って良いんだよ。


例えば、フェネス。かつての小さな部屋での記憶の滑走。全ての機材をベッドルームに移動させざるを得なくなる状況が導いたもの。録音された作品に与えられた名前は『Agora』、それが意味するものはポルトガル語で「今」、そして古代ギリシャ語では「広場」。音楽は確かに密室的に、しかしどこかでその扉の向こう側を思わせながら響いていく。


例えば、ギャヴィン・ブライアーズ。氷山に衝突し沈んでいく巨大な客船。混乱を迎えた圧迫的な船内ではなく、甲板にて最後まで奏られ続けた弦楽の響きを、生涯をかけて蘇らせていくこと。沈んでいくタイタニック号を描いていく響きは、2時間40分の惨状を永遠へと接続していく。常に人の死が鳴っている音楽へと封じ込めること。そこに彼らは生きている、死と共に。


例えば、ビッグ・ピンクからの音楽。ザ・バンド、と飾り気なく名付けられた集団は、ニューヨークの外れにある、壁をピンク色のペンキで塗られた家で密室的に音楽を創造していく。そこで行われていたのは、古きアメリカ音楽を再発見していく試み。しかしその音楽集団の中で生粋のアメリカ人はただひとり、残るはカナダ人によって創造された偽物の民俗音楽たちが、アメリカそのものを震わせる。侵略。


例えば、ダニエル・ジョンストン。ダビングの仕方が分からないが為に、殺到した注文のひとつひとつに対して、カセットテープへ直接吹き込んで歌われ続けた歌。その些細な差異。言葉と声の揺れ。カセットデッキに向かい合って彼は歌う、ただ単に、部屋の外側にいる誰かの為に。紡がれた素朴な歌、その無邪気な響き。


例えば、ホテルの一部屋。チェルシー・ホテルにいたあなたを覚えている、あなたが必要だとか、必要じゃないとか、そんな戯言のひとつも口にしなかった。レナード・コーエンが回想するジャニス・ジョプリンとの美しい記憶。ほんの些細な言葉を緒にして秘密は彼の心の外へと漏れ出し歌となった、そのことを彼は後悔する。しかし歌は既に明かされた。今日もどこかのホテルの一室で、言葉は繰り返される。あなたが必要だとか、必要じゃないとか、そんな戯言たち。


例えば、マッキントッシュ・プラスという匿名性。その名前は作家の名前なのか、あるいはひとつのパソコンを指し示す名前なのか。ただそれだけの存在であること、どこの部屋からも音楽が生まれてくること、それを名前が雄弁に語る。ヴェイパーウェーブと名付けられた、最先鋭のパンクミュージック、あるいは、退廃美の織りなすモダンなアヴァンギャルド・ミュージック。


例えば、ウォッシュト・アウト。ベッドルームから漂う微熱、そのささやき。チル、という言葉の真髄を指し示した孤独な青年が創り出した音楽。ヒップホップの影響を受けながら、緩やかにサイケデリックで、夢の中を思わせる響き。それが多くの人の感覚における夢と近接するのは、単にベッドサイドにて創られる音楽だから、なのか。


例えば、E2からE4へ。チェス盤にて繰り広げられる王道の初手。永遠に繰り返すように思われるポーンの動きと、一度入ってしまえば終わらないように思える音楽。テクノ、アンビエント、ニューエイジ、呼び方は何でも構わないけれど、浮遊するギターだけが現実に寄り添っているような、多分に幻覚剤を思わせる音楽。マニュエル・ゲッチングは、ベルリンの地下室に籠もってそれを創り上げた。


例えば、若きスティーヴ・ライヒ。音楽だけで生活ができないが故、ニュー・ヨークでタクシー運転手をしながら作曲に傾倒していた。盟友フィリップ・グラスと共に日銭を稼ぎながら、極端に短い詩のような、しかしそれでいて独特にグルーヴする音楽を創造していく日々。彼の耳にはどんな風に聴こえていたのだろう、小気味に震えるエンジンの音が、ロードノイズが、客の喋り声が、そしてそれらが音楽にはどんな風に影響していたのだろう。移動する部屋の中での日々。


例えば、ディス・ヒート。食肉保存用の冷蔵庫を改造したスタジオで録音された密室的な音楽。人間的な身体構造からなる音楽の波をズタズタに切り裂くその様、そして徹底的に静かで寒々しい音像には、どうしたってかつてそこで冷蔵保存されていた牛や豚の肉を重ね合わせずにはいられない。音楽を僕たちが解体したのか、音楽が僕たちを解体したのか。


例えば、ジム・オルーク。Steamroomという部屋、そこに詰め込まれた知識と経験、そして実験精神から生まれてくる、日常を切り貼りしたような音楽。ドラマティックさを拒否し、淡々と進んでいくその音楽の呆気なさと味気なさ。しかしその無味にこそ、生活がある。ドラマではなく日常を愛すること。フォークの秘訣。


例えば、オリヴィエ・メシアン。世の終わりのための四重奏曲。世界の終わりの始まりは、野営地の収容所から聴こえ出す。フランス軍の兵士だったメシアンはドイツ軍に捕らえられ捕虜となったが、その収容所のかなり特異な特徴───音楽が優遇される環境を利用して、時間という拘束に囚われている世の終わりを描いていく。少しばかりの希望を込めながら。この世界からの逃走。


例えば、ピート・シーガーの家に仕えていたお手伝いさんのお婆ちゃん。エリザベス・コットン、というちょっと優雅な名前を持っているそのお婆ちゃんはギターが上手で、しかも左利きなのに、弦は右利きの人が使用するまま張り替えない。だからなのか、そのお婆ちゃんが弾いたフォークミュージックはちょっと変わっていて、歌声も飄々として嗄れている。その音楽には優しさが滲んでいて、音楽が人間から生まれているものという事実を証明している。音楽が部屋を満たして、染めていく。


世界中で多発してきた、小さな部屋から始まる音楽たち。フォークロア。

本当に小さな、小さな瞳、その眼差しによる、小さく世界を変えていくこと。


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コスモポリタニズム、という思想が僕はとても好きです。世界市民、という考え方へ依拠するそれは、端的に言えば地球上に存在する人間は人種・国籍を問わず同胞である、という極めて理想的なものです。それを初めて知ったのは中学校の時の歴史の授業だったように記憶しています。その提唱者であった亡国バビロニアの英雄・アレクサンドロス三世を巡るヒロイックな逸話の数々と、彼の帝国の拡大にまつわる劇的なドラマ性が、退屈な日々の最中にあった少年には大変刺激的に映ったことも、コスモポリタニズムへの憧憬の何割かには影響していたのでしょう。ただし今となって考えると、アレクサンドロス三世の英雄記自体は帝国主義の一環であり、殺傷と武力の惨憺たる歴史のワンシーンであり、今の世界の在り方ともそんなに変わらない光景のような気がしています。むしろ僕個人に関して言えば、年々そこに対する疑念が高まってきてもいます。即ち、現在の日本の武力行使を正当化し推進するような本来危惧すべき考え方と、僕の抱えるメンタリティとは結果同じものなのではないか、と疑問に感じてきているのです。それについて考えていくと、人間の歴史が確かに抱えている、認めざるを得ない周回性を目の当たりにさせられ、絶望をも感じてしまいます。その絶望は社会主義を巡る歴史的な惨状に共通しているものでもあります。アメリカに出現しているバーニー・サンダースのような新しい光の在り方に希望を抱くその一方で、先日韓国人の友人と話していた最中に訪れた結論こそが確信をついてしまっていて、僕は割と行き先を見失っています。「社会主義とは神のシステムであって人間には扱い得ない」、その不幸な結論がふたりを巡っていった瞬間のあのヒヤリとした質感は、本当に小さな、しかしダイヤモンドのような硬度と鋭利さを保つ冷たいものでした。最近の僕の中で記憶に新しいはっきりとした痛みは、まさしくあれによって刻まれたものです。


僕の敬愛する偉大な純音楽集団=OGRE YOU ASSHOLE、彼らの目下の新作である『新しい人』に対して、僕はそういうテクスチャーを、微かな希望と絶望の兆しの混じりを感じずにはいられず、その作品の素っ気なさにも関わらず心には激震が訪れました。現在を巡る異様な速度感こそが、現存の世界や社会システムの変革を如実に示すものであり、それは同様に僕たちが旧来の人間であること、これから先には現人類の愚行の数々が鼻で笑われる新しい未来が到来すること、その時に僕たちは吐き捨てられる存在になるのではないかということも同様に示している。それらが織りなす景観は、自分の理解の及ばない存在に対するかなり漠然とした不安感と、それでもそこに感じずにはいられない希求のミクスチャーによって構成されていました。かつ、それがまだささやかな思案であるからこそ、あの作品には分かり易い、仰々しいサウンド構造が撤廃され、微かに不安定なバランスが封じ込められているのかな、とも考えています。


もうひとつ、最近になってフラッシュバックした作品があります。それは幼少の頃、執拗に観ていたアニメ作品のひとつである『王様の剣』でした。1963年に公開されたディズニー映画です。1963年、という時間をうまく想像できなかったのですが、ビートルズはデビュー作『Please Please Me』を発表して旋風の発端を巻き起こしたばかり、そして日本に関して言えば、金字塔である『鉄腕アトム』が放送開始した年です。しかしアトムくんが白黒の世界の中で飛び回っていたことを踏まえると、『王様の剣』は作画云々に関してやいのやいのと言われていたりはするようですが、当時の技術の先鋭のひとつを担っていたのではないかな、と素人ながら感じています。


しかし、『王様の剣』の何に対して僕は惹かれていたのだろうか、ということは未だに大きな疑問です。というのも、今改めて思い返してみても、この作品には分かりやすいポップな要素があまりないのです。極めてディズニー的な理想主義こそあれど、絶大な悪と対峙したりするような類のものではなく、内省的で線の細い少年であるワートの成長過程を描く、という渋い内容であります。彼へ多大な影響を与える魔法使いマーリンも、魔法を使いこそするのですが、ワートをリス・魚・小鳥に変える、お皿をお皿自身に洗わせる、という謎の働きでしかそれを用いらず、それによって誰かを懲らしめよう、あるいは直接的にワートを助けよう、という動きを一切しません。彼の魔法は、それによって実際的な強さをワートへ授けていくというよりも、少年の中へ精神的な糧を敷き詰めていく、そんなかなり後援的な働きをしていることが印象的です。愛の力は重力よりも強力である、そんな台詞が『王様の剣』の一幕に存在していたことを朧気ながら記憶しています。久しく観ていないので、もしかしたら誤りかもしませんが、少なくとも近いような趣旨の台詞はあったはずです。この言葉は僕に考えることを強いていきます。


同様に、当時は全く意識していなかったのですが、この『王様の剣』のモチーフにあたる伝説上の存在=アーサー王とアレクサンドロス三世とは確かに繋がるところがあるなあと、今となっては思います。史実的な決裂は決定的で、アレクサンドロス三世は紀元前4世紀のバビロニアの人であるのに対して、アーサー王は(設定上の話、になるのですが)5世紀から6世紀のイギリスの方です。かつ、アーサー王を巡る物語には魔法使いの存在や、卓越した騎士が座る円卓の座席数が13であることなど、バビロニアの時代には存在し得ないキリスト教的な観点が多分に含まれています。ので、それを強引に繋げることに問題が色々とあること自体は、僕も否定しません。


それでも僕がそれを妄想してしまうのは、アーサー王とアレクサンドロス三世の関係性を、あるいは愛と重力との対比を、そのまま理想と現実を巡る問題にトレースできるからかもしれません。そしてそれは僕の抱える問題にも直接的に転換していきます。理想を語ることだけが、あるいは現実を語ることだけが、この世界には何を齎していくのか。何を生み出していき、何を殺していくのか。理想を求めることと現実を追求していくこととは、どちらが優先されるべきなのか。


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愛の力は重力よりも強力である。


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『王様の剣』の劇中、ワートがマーリンに魔法をかけられ魚となり、水の中を泳ぐシーンがあります。泳ぎ方の分からないワートが左右のヒレや尾っぽを動かす度に、水中に泡が生まれるのですが、その絵の質感が僕は好きで好きで仕方がなかったものでした。何に対してここまで惹かれていたのかについてはどうにも説明ができません。ものすごく他愛のない描写だし、目を引くギミックは全くもって皆無です。あの柔らかさを思わせる感触なのか、あるいは色彩なのかはよく分からないのですが、そこにひとりの少年の何かを揺さぶっていくような、そんな説得力があったことは確かなのだと思います。


泡の色。

そう考えたときに、僕は思わず頭を傾げてしまいました。


泡の色って何色だろう。


泡そのものには色彩はない、それは液体の色によって規定され変化していくもの。

当然のように思える、だけれども、それは本当に、当然なのか。


本当に?


泡沫状のフォーク、という言葉が過ぎったのはその瞬間だったかもしれません。


僕たちは今何色をしているんだろうか。それはこれから先の子どもたちからしても、全く同じ色なのだろうか。あるいは僕たちはこれから、これまでに存在しなかったような泡の色を模索していくことができるんじゃないだろうか。僕たちがそれぞれに違う色をしているのなら、それをどう共存させることができるのだろうか。それを音楽において考えることって、とても有意義なのではないだろうか。それらがその時の閃きでした。


泡、部屋、音楽、それらをどう繋ぎ止めて具現化するのかについて、実際のところその時点で僕の中には明確な回答があったのは間違いないのですが、それをどう人に説明するのか、ということに対しては少し時間がかかりました。ここまで書いてきたこと、その言葉たちこそが、それらを全て繋ぎ止めてくれていること、僕の頭の中の何かを伝えてくれていることを願っています。


───


2019年10月19日、FOLKY FOAMYという試みを表出してみようと思っています。それは突き詰めて言えば、DJのイベントです。ここで最も重要なことは、これがひとつの限定された音楽性を巡るイベントではないという点であり、その上で「新しいフォーク、新しい感覚の目覚め」というテーマを掲げている点です。(はっきりと明文するのは初めてですが)mihauにも共通するテーマであるフォークという概念を、バンドではなく別の形で追求してみたい、という気持ちから開催してみるイベント、というのが僕の心象としては正確なところです。


国境を軽々と跨ぎながら(あるいは消しゴムで燃やしていきながら)共通点を見出し、音楽たちを繋げていく・共存させていく───今回のイベントに関してご協力してくださったdu cafe新宿さんからイベントの告知文を考えてください、と依頼された時、色々な考えが飛び跳ねている頭の中から、僕はこんな言葉を取り上げ文章を組み上げてみました。僕の指向していることとはこれ以上でもこれ以下でもないように思いますが、そういう内容にする為にも、協力してくださる華々しい才能が必要であることは明確でした。しかし幸福なことに、人選にはそこまで悩みませんでした。という訳で今回は、Chiriziris / Hum Hum Sandwichの237さんと、BUZZY ROOTSよりMINLeeさんIzumiさんがDJとして参加してくださります。と、彼女たちに加えて僕自身も選曲し、DJをしてみようと思っています。


237さんは、僕が初めてDJをした際に共演した、というか、そもそも彼女がそのイベントを企画する際に声をかけてくれなかったら僕はDJを未だにしていなかったであろうことは恐らく確かなので、直接的に僕へ影響を与えてくださった方です。彼女とはもともと同じ会社に勤めていて、背中合わせでデスクが隣でした。が、当時はそこまで話していたりした訳ではなく、時折抱えているレコードに対して互いに反応したりしていた程度でした。そのレコードとは、例えばエルメート・パスコアールだったり、例えば東京塩麹だったりしたのですが、僕は当時から彼女のその感性の多彩さと、一定の芯の在り方に対して驚いていました。


彼女も僕もその会社を辞め、そこからは何にも互いのことを知らない世界へ突入する…かと思いきや、mihauのベーシスト=まめちゃんがとあるアイドルさんのバックバンドを務めるというので颯爽と駆けつけたところ、なんとそこで再会しました。驚きながら話を聞いてみると、まめちゃんが以前に活動していたバンドと237さんは共演したことがあるらしく、実は友達の友達だった、ということが判明し、そこから新しい関係が芽吹き出したのでした。


BUZZY ROOTSのおふたりとも、237さんがきっかけで知り合うことができました。「メインストリームとは一歩離れた韓国のアンダーグラウンドな音楽シーンを発信するWEBメディア」と表されたBUZZY ROOTS自体は、もともとTwitter上で見かけていて一方的に知っており、かなり興味深くその動向を見ていました。どこでどうやって調べたんだろう…と疑問に感じてしまうほど、このサイトに掲載し紹介されている韓国の音楽は未知なるものばかりでした。かつ、それが特定の音楽ジャンルに絞ったものでないことも、僕の中で共感を呼んでいました。こういう動きを見せることのできる人たちは、恐らく情報ではなく音楽そのものに向き合って行動をしている人たちに違いない、という確信をそこで得たのです。いずれお会いしてみたいなあと、その時には既に朧気に考えていたりもしました。


そんな最中、237さんのバンドメイトであるマーライオンくんが主催するイベント=シンガポール祭りが渋谷7th FLOORにて今年の7月にありました。僕は当然のようにそこに遊びに行った訳ですが、そこでDJをされていたのがアジアのポップスを聴き倒す会という会合でして、そこにBUZZY ROOTSのおふたりも参加していることは把握していたので、もしやそこでお会いできるのでは…と邪な気持ちを抱えていたところ、当日DJをされていたMINLeeさんと本当にお話するタイミングが訪れ、もうひとりのBUZZY ROOTSの首謀者=Izumiさんとも237さん経由で繋がりが出来たりで、僕的にはしめしめといった感じでした。それとやや前後して、237さんとまたDJイベントやりたいね、という話をしていて今回のFOLKY FOAMYを企画していくうち、もう一組のDJとしてBUZZY ROOTSさんを呼んでみたいね、との話が自然と上がりまして、恐る恐るお願いしてみたところ快諾頂いた、というような流れでした。STYLOの時もそうだったんですが、話の進行がスムーズ過ぎて、むしろこちらが驚いてしまうほどです。


それにしても、ちょっと出来過ぎなくらいにイベントの趣旨にぴったりな方々と共演できることに、心の底から喜びを感じています。237さんはハワイアン音楽のディープディガーですし、BUZZY ROOTSのふたりは言わずもがな韓国インディの旨味を取り上げるプロですから、前情報なしにイベントに遊びに来てくれた方はなかなか混乱するかもしれません。しかし同様に、発見も多いイベントになるのではないかなあと想像しています。


加えて、素敵なフライヤーデザインはmihauのTシャツデザインですっかりマイメンとなった小林修さんに担当して頂きました。修さんには上記のような僕の思考の一部分をかなり要約して伝えただけなのですが、びっくりするくらいにグッドなデザインを僅か一週間程度でご提示頂きました。才能ってすごいんだなあと畏怖しております。ちなみに今回のフライヤーデザインの色違いのアウトテイクが実は存在しているんですが、それらも大変素晴らしいです。それもまた機会があれば、皆さんにご覧頂きたいなあと考えております。


という訳で10月19日(土)、新宿までどうぞお気軽に遊びに来てください。17時から21時まで開催しています。エントランスフリー即ちチケット代なしなので、フラッと遊びに来れます、ドリンク代だけで延々と楽しめちゃいます。でもたくさん飲むと良いことあると思います、なんとなく。土曜日だから遅くまで遊べるしね。そういう休日の楽しみ方も大変素敵だと思います。どうぞお会いしましょう、そしてたくさん皆さんの言葉を聞かせてください。


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2019年10月12日、ゆっくり眠ろう久しぶりに、という僕の目論見は朝には既に破断されている。緊急警報がiPhoneからけたたましく鳴っていたのだ。八王子の辺りは朝から警報が出ていて、浅川はかなり水位が上がっているらしい。mihauの皆からLINEが来ている。皆はそれぞれ無事とのことで、とりあえずは一安心である。


今日は本当であれば、GEZANの主催する全感覚祭に行くつもりだった。今年に入ってからというもの、こと音楽面に関してかなり疾走気味に駆け抜け、色々と他の誘惑を遠ざけてきたところも少なからずあったので、そんな自分の頑張りへの、せめてものご褒美のつもりだった。かつ、大阪編にmiddle cow creek fallsこと朝倉さんが参加されていて、最高だった、色々と考える機会になった、という素敵な感想を伝えてくれたこともあって、僕も絶対に行きたいと考えていたのだけれど、その楽しみは台風があっさりと取り上げていった。同じような気持ちを抱えている人がたくさん存在していることは分かっているし、それを僕だけの感情とするのは勘違いも甚だしく、傲慢であり、根本的な間違いであることも理解している。でも悔しい、そこに尽きる。何よりもGEZAN自体が悔しくて仕方がないだろう。同時に間違いなく存在しているであろう現実的な問題が僕には分からないので、悔しさと同様にげっそりしてしまうような問題も山積みなのだと思うのだけれど、それはあくまで想像の範疇だ。でももしもその想像が正確だったとして、彼らが戦わなくてはならないものが台風によって増えてしまったことは、単純に苦しい。


でも彼らの動き方、その俊敏さは本当に格好良い。悔しさをバネにして、すぐに行動に移していった。明日13日の深夜、渋谷がハッキングされるそうだ。「ハッキング」という言葉は今思いついたけれど、まさにその通りだと思う。素晴らしいし、とても眩しい。明日はKlan AIleenとENDONが同じイベントに出る日で、問題がなければきっと決行されるそれのおかげで既に舞い上がっているのだけれど、GEZANがさらに飛び込んできた。明後日は普通に朝から仕事に行かなくてはならないのだけれど、そんなこと言っている場合ではないかな、とも企んでいる。知ったことか。なるようになれば良いんだよ。きっと今、嵐に怯えながら、来たる日々について考えている人がたくさんいるだろう。それがもしかしたら、あまり好ましくない日々かもしれないことを予感しながら。でも僕たちの部屋は確かに繋がっている。扉の外に広がる細い道を介して、でも、インターネットによって、でも、なんだって構わないけれど、部屋は繋がっている。そこから生まれる音楽も然り、だ。


僕は今、泡の色について考えている。

色々な部屋に篭って、雨の音を聴いている人たち。

その部屋に満ちている泡の色とその違いについて、考えている。


台風19号が確かに近付きつつあることを、雨が窓に打ち付ける音から察している。しかし部屋の中がその音だけで満たされていくことには徹底的に抵抗したい。それがいかにこの空間を味気なくさせていくことを知っているから。だから音楽をかけている、絶やさないように、そのひとつひとつを慈しむように。クシシュトフ・コメダの『Ballet Etudes』からスタートして、ENDON『MAMA』、ヨハン・ヨハンソン『IBM 1401, A User’s Manual』、マルタ・アルゲリッチのショパン、ボーズ・オブ・カナダ『The Campfire Headphase』、ドン・エリス『How Time Passes』、Don’t DJ『Hyperspace Is The Place』(B面を流し始めたところで地震が来る、千葉県沖で震度4、世界の終わりを少し身近に感じる)、デレク・ベイリー『Solo Guitar Volume 1』、グラハム・ナッシュ『Songs For Beginners』、バーンイェン・ラーケンの編集盤、フェネスの新作『Agora』、そして今からラ・モンテ・ヤングの『The Theatre Of Eternal Music』をかけるところだ。音楽を絶やさない、今の希望を満たしたいという意味で言えば、このラ・モンテ・ヤングのレコードは最適任である。何せ「片面で」40分弱も音楽がかかるのだからね。僕の部屋の泡は今、何色に見えるのかな。


少し眠たくなってきたから、眠ろうかな。これは最後の眠りではないだろうけど、そう思いたいけれど、もしかしたら、最後からカウントする方が早い位置にある眠りかもしれない、と考えが頭を過ぎって行った。今でも避難警報が鳴っていることが、それを雄弁に伝えようとしているような気がしてくる。そうであれば、だ。それまでにできることをしよう。話はいつだってシンプルである。その仔細がどれだけ複雑であったとしても、話自体は単純なのだ。それって如何にも人間らしいよね。僕たちは複雑な細胞構成と部屋を抱えた、粗悪で愛おしい生き物だよ。


祈ることを溺死させも、自殺させもしない。

小さな部屋からラブソングを響かせ、それを繋げていく。

今日はそういう日である。

そして明日からの日々もまた、そうであるに違いない。

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