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>>> some words? = thinking (or sinking)

戻っておいでよベイビー (戻る家がまだ残されているなら)

来週はクリスマス。そんな何処か浮き立った様子の街を見つめながら、午後13時の秋葉原にて今これを書いています。喫茶店のカウンターに座っている僕は時折、窓の外からビルの足元を眺めています。サンタの格好をした女の子が街路樹の近くでチラシ配りをしていて。彼女は手にしたチラシを懸命に、しかしどこかやるせなさを感じさせながら配っていますが、それを手に取る人がまあいない。と言うとまるで僕は違うけどね、とでも聞こえそうですが、ごめんなさい僕はまさにああ言うチラシを手に取らない人間です。ティッシュですら貰わないのですほとんど。だから偉そうなことは何にも言えないのですごめんなさい。ですけど、それにしたってね。どこか近付き難いような雰囲気を醸してはいますが、素敵な女の子が可愛らしいサンタさんの格好をして配っているのだから、誰か構ってあげれば良いのにね。と考えながら、僕はゆるっとコーヒーを飲んでいます。


彼女の姿はどこか寂しげで、孤独を感じさせるものでした。それにはきっと、彼女の来ている赤い服も関係している気がします。サンタさんって寂しく見えませんか? なんでクリスマスの夜にひとりきりでプレゼントを配っているんでしょうね? 子どもたちには声もかけずに。


いつの頃からか、僕の中でクリスマスと孤独というものは癒着して強く関連してしまうようになりました。恋人たちや家族たちによる幸福なクリスマス、それに対してやいのやいのと言うことは何もありません。僕はむしろそこに憧れてはいます。だし、割といますけど、そこに対して文句を言う人って、すごく寂しく見えます。それは単に、その人がやっかみの集合体でしかないからでしょう。他人の幸福を祝えない人は自分の幸福も感じられない、というのは、割と正しい指摘のように思います。


じゃあ僕がそういうやっかみを抱えていない人間なのか、と言われると、それは非常に回答に困るところではあります。難しいところですが、恋人たちのことを祝福はしているのですが、どうでも良いなあ、とも思っているからです。その興味のなさって、突き詰めていくと結局、自分とは関係ない物事だと思っているからのような気がするんですよね。でもそれって、すごく孤独な様相を呈しているとは思いませんか。


きっと僕は孤独について考えている理由は、サンタさんだけでなく秋葉原という土地にいることも多分に関係しているでしょう。僕にとってこの街とは、昔のアニメ文化全盛だった頃に比べれば幾分洗練された気もしつつ、今でも何処かよそ者感を感じることが否めない土地です。お邪魔しております、といつまでも敬語が抜け切らない土地ですし、これから先に関してもそれが変化する兆しが見つけられない。永遠にふたりは平行線を辿っていくのだね…なんて切ない感情の交差を感じる街なのです。僕が知る街の中では、その気配に関して言えば秋葉原が頭ひとつ飛び抜けてトップに君臨しています。お互い分かり合える気がするんだけど何故かチグハグし続けたまま。これはもちろんのこと、人間関係においてもこういう種のものが時折存在します。僕はそこに存在する絶妙に微妙な駆け引きみたいな具合が実に苦手なのですが、しかしそれに対して出来ることとは非常に限られていて、しかも関係性の抜本的な改善に役立つ特効薬がない。というのがまた辛いところです。


その反対側に位置している街、リラックスして過ごすことのできる街について考えると、それは間違いなく新宿だなあと感じています。がしかし、僕は新宿に在住しているわけではないので、それもまたよそ者感があるかもしれません。秋葉原ほどではないにせよ、ゲスト感があるというか。言ってしまえば新宿は、そこで衣食住をしている人たちに対してすらそういう態度をしているように思います。流れ着いた者たちによってちぐはぐとしたジグソーパズルが構成される街。なので新宿に対して感じるホームリィな質感自体は確かに正当性があったとしても、実のところは、自分の部屋に籠もっている最中に感じるあれとは劇的に違います。家がないことに対する飢餓感の集団によってあの街は構成されているのでしょう。


じゃあ…と考えていくと、恐ろしいことに行き着いてしまうのですが。僕の家ってどこだよ問題です。八王子? 住んでいるだけで、家ではないよね。相模原? もはや住んでいないから、あそこは僕の家ではなくなってしまった…ではそれは一体どこにあると言うんだ?


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冷静に考えていくと、今年の色々な活動は自分の空間を作る、ということに何もかも収束していくように感じます。バンドやレーベルのことはもちろんのこと、普段の生活に関しても、全てがそこへと真っ直ぐに帰結していきます。比較的流浪のルートを辿りやすい僕の諸々を鑑みて考えていくと、ここまで目的と結果がストレートに繋がっていた年はありません。今年はそういう点で言えば、すごく特異で、明らかに何かの転換点となった一年だったと思います。


それにしたって、怒涛でした。9月22日のSTYLOに次いで10月6日の神楽音ライブ、で一区切りかと思いきや、その場でライブに出る話を頂き承諾、だもんで翌11月10日には西永福JAMに出演、とトントントントントンと木槌を突く音が止まないまま演奏と練習に明け暮れ、FOLKY FOAMYという半ば思いつきのDJイベントを10月19日に敢行、こちらに関してもとりあえず終わりかと思いきや、思わぬところでお誘い頂いて12月17日にも決行、と結果的に2回行いました。FOLKY FOAMYの二週間後にはmihauの音響担当ことまゆりさんのご飯イベント=おふくろクラブが開催され、こちらにも3人目のおふくろこと給仕を担当して一日滞在しておりましたし、西永福のライブはその翌週だった…みたいな感じで割と動きっぱなし。もちろんそれらには打ち合わせの時間もあるし、電車に乗りながらそれについて考えたりとかで思考停止する時間はほとんどなく、ひとつのイベントが終わった直後にもこれから先の計画をして色々と考えていき…という円循環を繰り返していて、それを今でも続けています。


あまりにも怒涛で、何もかもが目まぐるしく、我ながら良くもまああんなにも色々なことを並行させながらそこまで難もなく乗り越えられたものだな、と感心してしまいます。それにはもちろん周囲の人たちの助けがあってこそであることは分かり切っていますが(本当にどうもありがとうございます皆様大感謝です)、言ってしまうとその諸々の始点は自分自身であることがほとんどだったりなので、僕が種を撒いたものにみなさんが反応してくれたんだな、という喜びと同様に、呆れもせず懸命に共に頑張ってきてくれたバンドのみんなレーベルの関係者のみんな、そしてイベント制作に関わってくれた山本チーズさんにほいさーさんなど、頭の上がらない人たちがたくさんいます。その人数の多さに対して、かなり驚いています僕。


そしてこれはよく思い知ったところですが、とてもお恥ずかしい話、今年はこれまでの人生を通してもダントツに、自分自身のお金に対する才能の欠陥ぶりに驚かされた一年でもありました。仕事が突然なくなった・突然無職になったという、乗り越えることがどうにかできた今となっては結構笑える事象を、しかしあの時分には極めてヘヴィに受け止めていましたし、実際にヘヴィでした。それの多くの理由は結局のところ、お金を巡る問題でした。お金が全くない。ないから稼がなくてはならない。ところが仕事にありつけない。仕方ないからその場しのぎの仕事をする。でもその場しのぎの仕事はお金にならない。だからお金がない。見事に悪循環をしていました。それこそ、毎日どうやって死のうかななどと考えていたりしました。そんな苦しい日々の連続にかなり参っていたのですが、それがあまり周囲の人には感じられなかったっぽいのは、恐らく音楽の活動によって気分が紛れていたところがたくさんあった為だと思います。音楽の活動があるからまだ死ねないな、みたいな心の底辺にあったとても大事な礎が、僕の身体を生きることから引き剥がさずに、重石となって存在していたのです。だからこそ、呆れもせず懸命に共に頑張ってきてくれたバンドのみんなレーベルの関係者のみんな、そしてイベント制作に関わってくれた山本チーズさんにほいさーさんなど、頭の上がらない人たちがたくさんいます。その人数の多さに対して、かなり驚いています僕。と先ほどの文章をそのままコピペして引用できるほど、僕には今年感謝している人たちが山ほどいますのですよ。


休みがなくなった、というのも今年初めて経験した現象のひとつです。まるきり家に閉じこもっていた日々が突然消え、仕事を失ってから以降は特にほとんどなく、出稼ぎしにいくかバンド練しに行くか打ち合わせしにいくか…という具合に何かしら用事があるというのも初めてでした。それに関して言うと、本来の僕の人間性としては何も考えずにウダウダしたいなあ的な怠惰な考えが多分にあるはずなのですが、恐らくフューズが弾け飛びました。それに、結局家にいたところでも何かしら考えていることには違いなく、ひとりで考えていれば結局首の括り方について熟考することになるのでしょうから、家の外に出て誰かと会う、ということによって助けられていたところもたくさんあったのでしょう。人に触れることに含有されている幸福、そこに対する感度が上がったような気がします。どうもありがとうございます。と改めてお礼を申し上げます。


そんな感じで色々理由はありつつ日々波乱だったりしたので、今年起こったことを振り返り考えていると、どこか現実味がないというか、何だったんだろうと思うことが多々あります。それはひとつの物事をきっかけにして、それが思いがけない方向へ拡散していく、それがまた違う方向へ、という嬉しい作用の連続だったのですが、端的に言えば僕は、その点に関して言えばですが、今年極めてラッキーで、くじ運が良かったということはもちろんのこと、そのくじに漏れなくキャンディが10個くらい付属している、みたいな感じでした。しかもそのキャンディの包み紙を見てみたら、半分くらいに当たりの文字が書いてあって、それのおかげで今もまた面白いことを企んでいる…というのが、その先に連なっていて辿り着いた、まさに今の時間です。


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2020年2月22日、これはもう文字通り、にゃおにゃおにゃーにゃーにゃーの日ですが、STYLO#2を開催することになりました。昨年9月の初回STYLOが終わって割とすぐ…どころか実は、それを決行する前から話の発端がありました。と言うのは、『grft』の制作過程の中で共に作業をしてくれたmiddle cow creek fallsが東京でライブをしたいと口にしており、であれば、と彼のサウンドに最もしっくり来る神楽音でのライブをぼんやり考えていたのが6月のこと。そのタイミングで神楽音の名イベンターであるほいさーさんにも話をし、予想通り彼女も非常に乗り気だったので、万事良い感じだなあ…と思っていたのが9月のSTYLO直前の話です。


具体的に日程を決め始めたのはSTYLOが終わってすぐのこと。ただの気分で「にゃおにゃおにゃーにゃーにゃーの日にしようぜ!!」とmiddle cowとノリで決め、神楽音も押さえてもらい、さて人選を考えねばね。という段階で、実はすぐに5kaiを誘いたいと考えていました。


というのも、少しネタバラシすると、middle cowこと朝倉さんは普段録音エンジニアをされており、5kaiの目下の新作である『Untitled』も実は彼が担当していたのです。そのことは実は全然知らず、後から偶然知ったことだったりしたのですがとりあえずそれは置いておいて、5kai自体は僕も以前から知っており、その音楽性に惚れ惚れ & 恐々としていたのでした。と言うのも、新宿NINE SPICEにて開催されていたライブイベントに、私が追っかけているKlan Aileenを観に行った時の対バンとして彼らが出演しており、そこで初めて彼らを観てとんでもない衝撃を受けていた為です。殺伐とし、どこまでも鬱屈としたサウンド。その徹底的に冷たく、衝動的なサウンドはポストハードコアの質感を刷新するような真新しさが確かにありつつ、それでいてきちんと時系列に並んではいて、というバランスを保っていました。ローファイなギターの音はもちろんのこと、マシーナリーに規則的に、人間の鼓動とは距離を置いてずれながら鳴らされるドラムも、その叩き方やらスネアの軋むような音とかも含めて異様にカッコよかったし、バンド全体が空間そのものを鳴らしにかかって歪ませていくその姿勢と佇まいも最高でした。



かつ、朝倉さんが彼らに関係していると知ってから僕が考えていたことは、彼らのサウンドを朝倉さんが担当するその必然性についてでした。アンビエントの演奏家がポストハードコアを…というのは平均的に考えれば異端なのかもしれませんが、ノイズとアンビエントの根元を辿ると、そもそもの音の立ち位置から考えてみればそれらはたちまち同一であることが分かります。「そこにあるものの発見・再定義」から成り立つその両者の特徴を鑑みれば、一種のノイズロックの影響を受けているであろう5kaiのサウンドを、音の質感に極端な拘りを持つアンビエント作家が支えて共に創造していくことは全く不思議でない、どころか、むしろ当然であるようにすら思えます。


振り返ってみれば確かに、生で観た5kaiに関してもどこか電子音響的な、張り詰めていて、人肌から発せられる熱を意識的に排除しているような、そんな印象を受けたことをたちまち思い出しました。近年のジャズのテーマのひとつは電子音響をジャズの肉体性に回帰させる、という点に集約されることが多々ありますが、5kaiのコンセプトはその真逆で、人的な手段と音響を以ってして肉体を機械に落とし込んでいく、というもののように僕には聴こえます。パンクロックの極点において、音そのものへの意識を鋭利に研ぎ澄ませ焦点を絞り探究した結果、そこに存在していたのはかなり極端な執念によって削られる末路を辿ったコンマゼロの微かな息吹であり、徹底した冷徹さだった、みたいな感じでしょうか。


実際のところ、5kaiのライブには何にも熱を感じません。シャウトしているのに、そこに幾ばくかのエモーションを見出すことが、そもそもできません。語弊があるかもしれませんが、生と死、という人間の根本にあるはずの動力源すら、そこには見つけられません。彼らは徹底的に肉体と向き合ってそれを機械的に動かし続けた結果、何物も心に宿すことなく駆動し続ける機械そのものに「擬態してしまった」ような、僕たちはその顛末を息を飲んで見届けているような、そんな気持ちにさせられます。僕は彼らを見て、却って自分自身の死生観について考えざるを得ません。割と僕の考え方はポップな部類なのだなあと、5kaiを見る度に考えさせられます。


この5kaiの諸々に関して多大な貢献を果たしているのが、既に前述したように、すっかりマイメンとなった感のあるmiddle cow creek fallsです。そもそも彼に音源の制作の話を提案したのが今年の4月、そこから密に連絡を取り合って、お互いの感性やら感じ方やらを認識していき、そういう時間と言葉の積み重ねによって僕たちは『grft』という作品を制作しました。僕の中では、依頼した時には既に彼である必然があったのですが、しかしそれが彼の側でも同様だなんて感じられる程、能天気ではありません。実際のところ、朝倉さんには多大な動揺と困惑を与えていたらしく(申し訳ない)、彼はそれでも僕の送った約2,400字のTwitterのDMから意図を汲み上げ動いてくれた、大変な恩人です。変な話、僕と朝倉さんは互いの人生おいてもトップ5に入るであろう数奇な出会いを果たしている訳ですが、それでも全く行き詰まることなく極めてスムーズに物事を進められたのは、音から感じ取られる人間性を互いに感じ取っていた為ではないかと思います。詰まるところ、僕と朝倉さんのコミュニケーションはこれまで言葉、音、言葉、音、言葉、音、大量の言葉と音の山が織りなす屯に終始してきました。


そう、でもただ一度だけ、朝倉さんと電話で話したことがありました。それは突然朝倉さんから「今から電話して良い?」というLINEが届いたのがきっかけだったのですが、これが関係を持つ前のプレ恋人同士であれば大変ハニーな感触のする、極めて爽快かつ胸キュンな状況であることは分かりますけれども、僕と朝倉さんの関係はそうではない訳で、だもんで僕は本気で、怒られるのでは………、とドキドキしていたのですが、恐る恐るLINEで電話をしてみたところ、蓋を開けてみれば今後の音楽の話、やりたいことなどの音楽談義でした。電話口の朝倉さんは想像以上に饒舌な関西の方でした。それがただの妄想の部類だとは分かりつつも、やはりアンビエント作家とは普段から静かな人が多いのかな、などと考えていただけに、そのギャップに驚いたりもしました。けどその彼の口から語られたあらゆる話が大変素晴らしい・楽しい内容ばかりで、ここでその数%も明かせないのが悔しいような、いやでも内緒にしておいた方が素敵だよねぐふふのふ、みたいな感じです。ここに関しては後々明かしていけるかな。と思います。


とは言え、実際に対面して会うのは初めてです。朝倉さんとは今後も長く信頼の厚い関係が続くと思うので、その記念すべき第一歩を歩むことになるのが、にゃおにゃおにゃーにゃーにゃーの日となりました。猫だけに気まぐれに顔を合わせる感じなのでしょうか。なのでちょっとドキドキしながらも、しかしもう親しみしかない彼と同じ時間を過ごし共演できることには大変な嬉しさと喜びしかありません。


さて、ここまで順調かつ完璧だったラインナップでしたが、もう一捻り欲しい、middle cow creek fallsと5kaiが繋げてくれた線をどこに向けて伸ばすか、ということを熟考していたのがSTYLOの直後くらいでした。なんですが、実はこのSTYLOの時点で種は既に撒かれていたのです。というのは、この9月22日の渋谷LUSHに坪口昌恭さんがいらしてくださっていたことに、何もかもが依拠していく為です。何方がこの文章を読んでくださっているか分かりませんので、きちんと説明をしておきますと、坪口昌恭さんは今日の日本ジャズ界を代表する名ピアニストであり、同時にジャズの音響を時代と共に刷新し続けてきた第一人者のひとりです。菊地成孔さんのプロジェクト、例えばDC/PRG(かつてのデート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン)だとかダブ・セクステットのような名バンドへの参加のみならず、その菊地さんと始動させ、今では坪口さんの代名詞となっている東京ザヴィヌル・バッハでの活動が著名でしょう。自動変奏・リズム生成ソフトウェアであるMと、坪口さんら生の肉体を持つ演奏家とによるインプロビゼーション、という視点は極めてスリリングであり、かつその音楽を発展させるとして、エレクトロニクスの方面であろうと人間の方面であろうとも面白い可能性が共に見えてくる、という非常に面白い演奏ばかりだったこのバンドには多大な影響を受け、完全にノックアウトされていました。私がジャズに熱中し始めた大学生位の頃のお話でございます。




そして重要なのは、最近の坪口さんも大変にクールであること。元吉田ヨウヘイgroupの西田修大さんとyahyelのドラマーである大井一彌さんと始めたOrtanceにもとても驚かされました。というのも、明らかに坪口さんの音楽であるにも関わらず、明らかにこれまでの坪口さんの文脈上にないフレッシュな音楽がそこで鳴っていた為です。端的に言えばOrtanceは、エレクトロニカを前景に設置した上で現在のLAビート(フライング・ロータス、サンダーキャット、カルロス・ニーニョ、オースティン・ペラルタ、さらにはサム・ゲンデルとか、あげればキリがないですね)、さらにはフローティング・ポインツのようなインテリジェンスに象徴されるポストジャズ世代の電子音楽家の影響を顕著に受けながら、極めて洗練された生演奏に落とし込んでいたのでした。そもそも坪口さんの活動は様々な要素の具有に依拠しているので難しいところですが、仮にザヴィヌル・バッハの音楽性がポリリズムによるリズムの揺れを包括したヒップホップ以降のジャズの可能性の追求であれば、Ortanceはもう少し整数的な、エレクトロニカ以降のジャズと電子音楽の更新といった趣であるかもしれません。そして何よりも、坪口さん自体がいつまでもフレッシュな感性を保っていることが僕にとっては純粋たる驚きでございました。僕も同じような歳の取り方ができるのでしょうか。




ここまでの語り口で多分伝わっている気がしますが、きちんと説明しておきましょう。端的に申し上げますが、僕と坪口さんの関係性とは、単純に僕の坪口さんファン熱が昂り過ぎ拗れた結果の産物でしかありません。とあるきっかけを以って仕事上のお知り合いになることができた坪口さんとは、その関係自体が一旦収束してからも緩やかに繋がり続けていました。僕がバンドを始め、STYLOを開催すると決めた段階で、ふとした思いつきで軽く、極めて軽快に、絶対来る訳ないでしょう、と思いながら坪口さんにお声がけしてみたところ、返事自体は「行けそうだったら行きます」という大人な感じのものだったので、これは上手に断られたなあ仕方ないねそりゃそうだろうねえ忙しいもの坪口さんはね残念残念さあ気持ち切り替えよ!みたいな感じでいたのです。が。STYLOの当日になって坪口さんから連絡が来まして、iPhoneの画面に表示されているのは「今から行きますね」との文字。なんか夢でも見ているのでは…と半信半疑に思っていたところ、極めてふらっと、しかし本当にいらしてくださった坪口さんの姿を見、僕は猛烈に感動していました。坪口さんともなると本当に来るんだお世辞とかじゃないんだ……………と思いました率直に。「行けそうだったら行きます」、多くの人が語り、かく言う私も時折使ってしまうこのやるせない言葉の半分は恐らく嘘と申し訳なさで出来ていて、実際に同様の言葉を残して当日来なかった人たちが少なからずいたりして、まあそれぞれ事情があることは分かるものの、僕としてはなかなか悔しい思いをしているそんな心中でしたので、その坪口さんの有言実行ぶりに僕はばっちり感銘を受けてしまい。ただただ感動して。ガタガタ震えながら。目の前にいる坪口さんと色々な話を繰り広げたのです。楽しかった。そして本当に素敵な時間でした。


当日の僕の様子を知る人が証人となってくれるかと思いますが、あの日の僕はなんだか極めてナチュラルで全然緊張しておらず、逆に大丈夫かねと思いながら本番に臨んで、実際にあのステージからお客様を見つめていた時ですら緊張を感じず、ふうううんこんな感じなんだね人前で演奏するのって、みたいな感じだったのです、が、あの日僕が緊張していたのは実は自分たちの演奏の前後でありまして、つまりそれは坪口さんと話している時に集約されていたのでした。


演奏が終わった段階でも坪口さんとお話しできたのですが、そこで頂いた言葉にも非常に感銘を受けました。「平野さんらしくアイデアの詰まったアンサンブルで、色々な可能性を感じました」というその言葉です。あの日、僕に対してお褒めの言葉をかけてくださった方がたくさんいました。そしてその中のひとつが、坪口昌恭という恐るべき才能の塊から発せられたものでした。そこまで幸福に包まれた初ライブを迎えることができる人って、果たしてどれだけいるものでしょう。僕は自分自身の幸福を身に染みて感じました。今年は本当に人との出会いが大きい意味を持っていた年でしたが、そこにまた坪口さんが関わってくれたことが、僕には非常に喜ばしく思えたものです。


その時にはきっと朧気に、坪口さんと一緒に演奏してみたいな、という気持ちがあったに違いありません。STYLOの直後、一種の虚脱感に襲われなんだかぼけえええとしてしまっていたせいであんまり覚えていないのですが、LINEの履歴を辿っていくと、STYLOの直後に朝倉さんに向けて、坪口さんとやりたい、というメッセージを送っていたことは確認いたしました。すみません、あんまりよく覚えていません。が、朝倉さんも面白そうだと乗ってくれた辺りから私の記憶は鮮明に残っています。断られてもおかしくないよね…と坪口さんに恐る恐る連絡をしたところ、返事が来たのは数日後。時間をかけて共演者の音楽性を知り、その鋭敏な感性でイベントの趣旨を理解してくださった坪口さんは、ゆるりと出演を了承してくださったのでした。感動です。

とは言え、出演こそ了承してくださったものの、しばらく坪口さんは編成について考えていらっしゃいました。というのは恐らく、このイベントに対してどういう音楽を持ち込むのが正解なのかを吟味してくださった為です。Ortanceがやってくるかな、と僕はなんとなく思っていたのですが、しばらく待ってからの坪口さんの返答は「千葉広樹さんのベースとのデュオに電子音響を交えて演奏するジャズ」というもので、これまでの活動ともまた異なるフォーマットを持ち込んでくださいました。坪口さんが今回のSTYLO#2を新しい実験と遊びの場として捉えてくださったことに対しても、大きな喜びを抱いております。


その喜びには、単純に千葉広樹さんのことも大変崇拝している点も大いに関係しているでしょう。坪口さんの口から千葉さんの名前が出てきた時、うわおおおお…と呟いていたことはここだけの内緒です。彼が演奏していたもので好きなものは山ほどあり、Kineticとかrabbitooとかスガダイローのバックとか蓮沼執太フィルとか…とまあすごい数になりますけれども、ここで千葉さんについて話すのはなかなか困難で、というのは文字数もあるけれど千葉さんの歩みは坪口さん以上に複雑で僕も分かり切っていないところが多々ある為なのです。ですが、兎にも角にも、僕はあの千葉さんのベースのトーンが坪口さんに与える影響はとても色濃いだろうと想像しています。それこそデュオという研ぎ澄まされた編成においてジャズ的なふくよかさを前面に出しつつ、そこに電子音響を交えて展開していくという試み自体、千葉広樹さんを相棒にしない限り坪口さんでも表出できなかったように思えます。



長くなる気配をふと感じたので割愛しますが、僕はBlack Smoker Recordsの作品の諸々に心酔しがちな人間です。その陶酔のきっかけになったのは大谷能生さんの『Jazz Abstractions』でした。で、Kinetic『db』はそれより数年後にリリースされた作品だったのですが、聴いた時の質感と印象がくっきりと同じ線を辿っているように思えたことをよく覚えています。Black Smokerというレーベルの持っている音響の感覚ってなんだろうか。ということを考えるにあたり参照するのはその2枚を軸に、KILLER-BONGの諸作品(ミックス含む)、そしてMANTISのロウビートによるステップの音だったりします。



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今回の企画について考えている時の僕の耳は、常にぼんやりとした音響の最中にいました。それは一種の夢に近い感触なのですが、その実もっと醒めていて、この世界の上澄で鳴っている音楽を偶然捕らえてしまったような、そんな具合のものでした。その不可思議な音、それが織りなす靄の中にいながら、僕自身の考えていることは非常に明確だったように思います。middle cow creek fallsのアンビエント / 5kaiのポストハードコア / 坪口昌恭と千葉広樹のジャズ / そして僕たちのバンドのフォーク、一見雑多に思われそうですが実は類似していて、それでも微妙に違う位置から放たれているそれぞれの個性的な視点について。それこそが今回のSTYLOの肝であると考えています。


STYLO#2は、端的に申し上げれば「電子音響と肉体の折衷」を巡る内容になると思います。それはかつて坪口昌恭という名前のピアニストが、菊地成孔という良き理解者とマッキントッシュにインストールされたMという物言わぬ相棒に支えられ追求していたこと、その実践への敬意と愛情表現としてのひとつの返答であり、僕なりの解釈の発露と言えるかもしれません。生演奏のバンドなのに何処か電子的な冷たさがある、その逆も然り、あるいは電子音楽の影響を肉体が表現する、という点において非常に面白い方々と視点が揃ったと思っています。我ながらよくこの人たちを集められたなあとも感心します。今年成し遂げた中で自分を褒めてあげたいことのひとつは、このメンツを揃えたこと、そしてもうひとつはこの音楽たちを神楽音という極めて素晴らしい音の鳴る環境において放つ方向性へ導くことができた点でしょう。


僕には尽く誤解を受けている点があると認識しているのですが、僕の頭の中で鳴っている豊かな音楽は「混沌と混じり合って鳴っている」のとは様相が違います。それはむしろ、ある意味では自然が織りなすリズムを基調としています。音楽の響きが、例えば生の質感と電子音との質感とで違う事自体は分かりますが、極論としては、僕にはそれが優劣なく同等に・並列して聴こえています。そこには音そのものの説得力の大小しかあり得ないと思います。


なのである意味では、今回のSTYLO#2とは「混沌としている(と思われがちな)私の頭の中を辿る」という表現でも差し支えないかもしれません。


音を聴く、という行為は、これだけ視覚情報に溢れ撹乱させられている現在においては、最も顕著たる反逆行為のように感じます。じゃあ誰に対して反対しているのよあなたは、と問われると困るのは、それが何故かが分からないからなのではなく、逆に思い当たる節があり過ぎる為なのですが、それを最も簡単に説明するとしたら、「好きなように歩かせてくれ」ということになると思います。ペースを決めるのも歩幅を決めるのもスピードを決めるのも全部僕だ、という極根源的なはずの、しかし油断すると侵食されがちな欲求と自尊を保つ為の行為こそ、音を聴くことではないでしょうか。ジャズメンはかねてからやれ猫だやれキャットだと言われてきましたが、今回のSTYLOは全ての出演者が極めて猫的で、自由気ままに歩み、好きなタイミングで立ち止まることを繰り返していく、そういう人たちばかりです。そしてそれにも関わらず───ジャズ / アンビエント / ポストハードコア / フォークと鳴っているものはバラバラ、しかし確かに「同じ音が聴こえてくる」という瞬間にあなたは立ち会うことになるでしょう。豊かな音響そのものが共通点である、そんなまとめ方をした刺激的なイベントには、恐らく他ではなかなか巡り会えません。にゃおにゃおにゃーにゃーにゃーの日、全国の猫好きが狂喜乱舞するであろうこの日ですが、神楽坂にはそんな自由なキャットウォークによるリズムが溢れていることでしょう。


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午後18時の渋谷、クリスマスイブ。居場所のなさを感じ、まるでそこから逃げるようにして、僕は人の波をくぐり抜けていました。しかし街を見ても、全然クリスマス感がしません。年々そんなことを感じている気もしますが、今年は特にそうだったように思えます。大きなツリーとか、どこに消えてしまったのでしょうか。クリスマスっぽい格好をしている人もまた、どこへ。


クリスマスとは、恋人たちと子どもたちへ捧げられた貢物なのだろうか、とふと思いました。だとしたら、それ以外の人たちがその外側にいることは当然かもしれません。ここはクリスマスの外側なんだ、と認識した途端に、僕は先日考えていた家への疑問に対する回答のひとつを得たのです。家の持つ幻想から外に向けて出たのは、僕自身だったのだね。ずっとそうなってしまったと思っていたけど、そうではなく、自分からそうなろうとしたのだ、と。


同様に先日秋葉原で見かけていた女の子を思い出しました。最早彼女の面影しか思い出せませんが、彼女の身に付けていたサンタ服の赤が非常に目に焼き付いていて、なかなか離れようとはしません。その発色の具合が僕には恋しく思えました。その寂しげで。極めて孤独な質感のする、あの姿と、あの赤色。彼女は今、どこでどう過ごしているのでしょう。


彼女には帰る家があるのかな、という考えが頭を過ぎりました。戻るべき場所があることは、この世界の中で最も暖かく、豊かなことかもしれません。でもそれがないのであれば、まだまだどこにでも行けるということでもあるかもしれないですね。どんなクリスマスであろうとも、どんな境遇であろうとも、あなたが本当の孤独でないことを願っています。もしもあなたが孤独であれば、僕があなたの家になってあげることもできるのかな、などと甘ったれたことを考えながら。そして僕の頭の片隅では、ダーレン・ラブの歌声が聴こえています。


戻っておいでよベイビー。

戻る家がまだ残されているならね。



それではどうぞ、素敵なクリスマスを。

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