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>>> some words? = thinking (or sinking)

世界を半分に分かつ ───『an jsfahhann (reoverboard)』

ウィリアム・フォークナーの残した短編の中に『バーベナの匂い』という一編があることを知ったのは9月末日のことでした。神楽坂にあるかもめブックスに立ち寄り本棚を眺めていると、新潮社から発売されているフォークナーの短編集を見つけたのです。もちろんフォークナー自体は知っていたものの文章を読んだことはなく、なんとなく気になって中身をパラパラと眺めていると、『バーベナの匂い』と名付けられた短編が目に飛び込んできました。それを見つけた時、僕は迷うことなくそれを購入することにしました。

『バーベナの匂い』は時代の移り変わりを感じている主人公ベイアードが父からの古びた教え・黙したまま受け取り続けてきた因習・慣習を守るか、または時代の流れに沿った新しい選択をするか、その決断を巡る一編です。他の短編を読む限りだとフォークナーの小説に通底するテーマとは「血」───それはそのまま単に殺人や戦争で血が流れる瞬間を切り取ることでも、自身の生まれ持った境遇や人種、またそれらを取り巻く周囲の視線や扱いと、そこへの自分自身の本来の性分や思考との相反を描いていることでもあるのですが、本作もまさにそこへスポットライトを当てた細やかな、しかし実に濃厚な逸品です。


ベイアードの思考の巡りを第三者の立場から淡々と、しかし情緒的かつ繊細に描いていく本作には、父が娶った若き女性=ドルーシラの髪に髪飾りとして刺されているバーベナの香りを彼が香りとるシーンが多々登場します。本編中でバーベナはベイアードとドルーシラ、そして父親に張り巡らされた少し捻れた愛情による三角関係の象徴として、それが表出する瞬間に香り漂います。さらに以下のような記述もあります───ドルーシラの説によれば、バーベナこそが、千軍万馬のうちにあってもその匂いを失わない唯一の植物であり、したがって、髪にさす値打ちのある唯一のものだそうである。これは即ち、バーベナ全般の花言葉に沿えば魔力や魅力は常に香り、どんな状況でも感じることのできるもの、という読み方をしても決して外れではないでしょう。


文字情報と感覚の相性や個人の資質も大きく関係していそうですが、こと僕に限って言えば、文字情報から映像が喚起される、また聴感が喚起されることはよくありますが、嗅覚の喚起を起こさせる小説は珍しいものです。しかし確かに、この短編はバーベナの香りを巧みに引き出し投げかけてくるのでした。それは実際的と言うよりは香りの気配のようなものであり、目に見えないだけの具体的な煙を捕らえるのではなく、その輪郭だけをなぞるようなものでしたが、それでも爽やかなレモンに近しいバーベナの香りを嗅いだ時、僕の淡々とした日常にその花は確かに芽吹いたのです。


今となっては、僕にとってバーベナは大きな意味のある花です。それは言うまでもなく以前の制作で表出したテーマであるからですが、だからこそフォークナーの残したバーベナの残香に惹かれているのであり、また彼とプッチーニとを繋ぐ線を邪推してしまうのでしょう。時系列を辿ってみれば当然のこと、プッチーニの『蝶々夫人』をフォークナーが把握していた可能性は十二分にあり得ることのように思えます。その真偽の程は分かりませんが、両者に共通するのは実らない恋や失われていく愛情の気配であり、健気さと儚さの混合物、その象徴としてバーベナの花の香りが立ち込めてくる、そんな気がしているのです。


それを踏まえると尚、自分自身におけるバーベナの花の独特な存在感について考えずにはいられません。僕にとってその花は単なる美しいものから、どこかで現実を揺さぶり揺らしていくような存在へと変化しました。現実に宿りながら、その花を通して別の世界や景色を感じる扉のようなものです。そう、考えてもみれば、昔からあらゆる扉に対して僕は胸を躍らせることが出来ました。隣の部屋へ続く扉でも、見知らぬ廊下に設置された扉でも、廃墟の一角にある開かない扉でも…見えない向こう側への恐怖よりも何が待っているのかを想像してみることに、僕の生涯は費やされていくことになりそうです。そしてその扉のひとつにバーベナの花が加わったことは、素直に喜んで良いように思っています。



『an jsfahhann (reoverboard)』と後に名付けられることになる本作の制作は2020年の3月から始まりました。タイミング的にはまさに世界全体がコロナウイルスの猛威に包まれ始めた最初の波にあたる時期です。制作する予定は兼ねてからありましたが、作品のアイデアが浮かんだ時にはここまで本作に注力して制作することになるとは全く想像していませんでした。


3月にリリースをした”qros use teo”という楽曲は本作と並行して作業したもののひとつです。制作手法自体は『an jsfahhann (reoverboard)』と同様にサンプルベースですが、実際に先に取り組んでいたのは本作に収録された”ode rare”という楽曲でした。制作時期や手法から考えても(またここでは語りませんが別の点においても)これらの楽曲は兄弟のような関係性にありますが、”qrops use teo”を本作に収録することは初めから考えていませんでした。実際のところ、あの楽曲にはヒップホップやハードコアのような硬質な趣がありますが、本作には(“hern, brevard”を除き)そういう要素はあまりありません。意図的にそうした訳ではありませんが、この辺りには恐らく僕自身が置かれていた状況が関連していると思います。


“qrops use teo”は迫り来る不安感の象徴のような楽曲であるのに対し、『an jsfahhann (reoverboard)』にはちょっとした安らぎがあり、過度な不安感の最中からの脱却が描かれているように今では感じます。それをドキュメンタリーチックに捉えるのであれば、3月以降に僕自身が経験してきた過度の不安や崩壊予感から逃れる過程を刻んだものとしても間違ってはいないのかもしれません。3月頃から始まった不眠、その後に続く集中力の欠如や文字が読めない現象、それらの身体的な悪化は特に梅雨から初夏にかけて酷く、日常生活も含めほとんどのことに手が付けられない状態にあったのですが、唯一の例外がこの作品の制作でした。制作に関しては他の何かでは見られない集中力を呼び戻すことができ、それだけが唯一、僕が人間らしい所作をギリギリの水準で保つ方法だったとも思います。


『an jsfahhann (reoverboard)』にはその始めから明確な制作意図がありました。それは『verbena (for john and sarah)』の制作過程の中で既に芽生えていて、恐らく昨年の10月くらいには意識していたこと───『verbena (for john and sarah)』に息づいている距離と愛情を、せめて音楽の上では無碍にしてしまいたい。現実世界に据えられる様々な「線」、または地理的な「距離」が愛情を阻んだり、あるいはその逆に愛情を膨らませることがある中で、その「線」や「距離」を取り除いてしまう音楽を創りたい。そうすればそこに根付く愛情はより豊かなものになるに違いない、それは音楽の中だからこそ実現できる桃源郷に違いない。音楽の中だからこそ芽生えることの出来る愛情を表出してみたい。これらが本作へ至る発想の発端でした。


上記した「線」や「距離」は、言ってしまえばそのまま音楽そのものにも当てはめられるでしょう。『verbena (for john and sarah)』はコンピレーションとしてはやや特殊な部類に当たるかもしれない構成の作品でした。客観的に言えば、ギターポップとサウンドコラージュが同列に並ぶ作品とはそれなりに珍しいものになるのでしょう。より編纂者の嗜好と思考が顕著に表れる類のものです。しかし外から見ると不思議な並びだとしても、僕自身はそれらの「音楽性」と呼ばれるものに差を感じていませんし、僕はそもそも昔からそれぞれのジャンルに区分けされた音楽に対して差異を見つけることが非常に下手でした。この「差を感じない」という一種の味音痴、または欠損はしかし、捉え方や視点を変えてみるとたちまち個性や特質になり得るかもしれません。これらは昨年に行ったSTYLOやFOLKY FOAMYなどの各イベントにも通底する自己探究と同質のものでした。音楽の差異が分からないこと、その僕自身の欠損を演奏だけでなく制作に持ち込んでみる───今回の制作のもうひとつの重要なテーマがこれです。


これらのテーマを背景にした作品ですので、制作の方法論もほぼ自動的に設定されました。それは即ち『verbena (for john and sarah)』に収められた音楽や文章、またその関連作から「サンプリング」し音楽を構築していく方法でした。この手法によって、音楽がその構造上抱え込みやすい国境線や境界線を解いていき、全てを「素材として」平等に扱うことが出来る為です。ヒップホップがハイパーモダンであると僕が思う点こそ、音の中で何もかもを平等に取り扱うことが出来る技術と発想を持っていることでした。この辺の瑞々しい発想はヴェイパーウェイブなどにも共通しているでしょうから、恐らくこの「引用の価値の流動的な刷新」は今後も続いていくと思います。


さて、当初は作品の全てをサンプリングだけで構成するつもりでいたのですが、制作を進めていくうちにこのままでは奥行きが出ないことに気付き、最低限の範囲内で追加録音することを自分自身へ認め、シンセサイザーや別作品からの引用、そして詩の朗読を追加していきました。ただし前述したルールから、読み上げられる言葉たちは『verbena (for john and sarah)』に関連するものから選択されました。朗読はmihauのそらまめさんにChirizirisのサシャくん、そしてBUZZY ROOTSの名コンビ=akariさん・izumiさんにお願いすることにしました。単に音の響きを想定した人選であるのはもちろん、彼女たちもまた『verbena (for john and sarah)』に力を貸してくれ、作品全体を構成する大事な骨組みであることが大きな理由です。これらの追加要素は結果的には大正解であり、作品のテーマにしっかりと寄り添いながら、そこにより豊かな色彩と深みを加えてくださいました。コンピ収録楽曲や関連作から引用された詩、その言葉に導かれて、それぞれの音楽の展開や方向性が決定していくケースが多発したのには驚きましたが、それくらいに言葉の要素が強く関わっているのも本作の特徴のように思います。


制作以上に時間がかかったのがミックスとマスタリング作業でした。マスタリングに出した後ミックスをやり直したり、マスタリング自体も何回もやり直して頂いたりで、当初の予想を遥かに超えた作業量がそこで発生してしまいました。ここに関しては、長い付き合いみたいにも感じられてきた(しかし実際はまだ1年半という短い期間であり、即ちその時間が美しくまた濃厚過ぎたということでしょう)middle cow creek fallsこと朝倉さんに非常にご迷惑をおかけしました。「アーティストはわがままでなくちゃいけない」ということを朝倉さんは常々仰られるのですが、今回のケースに関してはああなるほどその通りだと納得することばかりです。作品に関して頑固であったり明確なイメージを持っていないと、恐らく完成した作品は中途半端なものになっていたでしょう。その点でも、本来別の仕事をしたいであろう時間を割いて僕と電話してくれ、意見をくださり、懇切にこの作品に向き合い共に模索してくださった朝倉さんには頭が上がりません。


「偶然はない、必然だけがある」という発言を『Anthology Of American Folk Music』を編纂したことで知られる奇人ハリー・スミスが残していますが(比較的最近刊行された『ハリー・スミスが語る』、ぶっ飛び過ぎていて面白いので是非お読みください)、本作の制作過程にはいくつかそういった場面がありました。数曲では音素材を特に確認せず適当な位置に配置した状態で編集・ミックスを行いましたが、自然と音の連鎖が構築されたり、展開が自動的に発生したりすることも多くあり、この種の自分のものではない何かに強烈に誘導されていくような引力の作用も、本作の重要な要素になったと思っています。

油彩画家の飯島誠さんの絵画にも出会ったのもこの種のものでした。たまたまTwitterでお見かけした一枚の絵画、森の中を縫ってその先に遠く海が見える作品には、具象と抽象の間にある絶妙な配色、実像と残像の入り混じりがありました。そして身に覚えのない郷愁です。自分自身はこの景色を見たことがないのに、自分と何か縁があるように思えて仕方ない…そういう不可思議な力によって筆が進められ、キャンバスの上に風景を描いているように思えました。日本風ではありながら、同時に明らかにそうではない感触───僕はそれを熟考の末「至るところにある原風景」と名付けることにしましたが、それはあの作品の持つ非常に大きな意味での土着性を、コスモポリタニズムが求める故郷を、そして飯島さんの作品全体に通底する言いようのない懐かしさをよく象徴していると思います。


『verbena (for john and sarah)』に表出したモチーフの一片は『蝶々夫人』にありましたが、あの絵画の世界観にはまるでオペラの舞台のような既視感があり、しかも絵画の奥に見える海がジャケットに使用した神山さんの写真に酷似していたことも、この絵を使用したいと考えた理由のひとつです。そう、確かに僕は、絵を見てすぐにその世界に生きる女性をイメージしました。蝶々さんという名前だったり、または違う名前かもしれませんが、そこに生きる人のたおやかな様、そしてどこか痛切で真摯、複雑な感情、それを抑制しようとする意識、それらの関係によって相乗したり分散したり滅却される思慮を抱えている人たち。真剣さだけが放つことのできる痛ましさ、それを持つ人の直視できないような生をその絵の端々に感じたのでした。

飯島さんに恐る恐る連絡をしたところ、使用に関して快諾して頂いたばかりでなく、音楽自体に対しても深い洞察力で聴き取ってくださり、非常に嬉しい感想を多々頂きました。今回の制作はほとんど協力してくださった方以外の方にはほとんど何も相談せずに進めていたのですが、その中で作品に対して「外側からの聴こえ方」を提示してくださったのはほぼ飯島さんだけであり、優しく、そして力強く支え鼓舞してくださったことにも改めて感謝を申し上げたいと思います。



綴りこそ違いますが、タイトルにした”イスファハン(isfahan)”とはイランの都市名です。そこは16世紀末頃に当時の王朝の首都と設定され栄華を誇っていた都市でした。その繁栄ぶりは目覚ましく、「イスファハンは世界の半分である」とまで評されてきたそうです。確かにイスファハンでGoogle検索をすれば、たちまち色彩の豊かな古都の写真が次々と表示されます。そして面白いのが、この古都がイスラム圏内の文化とアジア圏の文化、さらには東ヨーロッパの文化が人の移動と共に流入して混じり合った土地であり、文化の交流地点となっていたことでした。実際にそこに住んだ人々はアラブ人にユダヤ人、トルコ人、アルメニアからの流入民、ゾロアスター教徒にキリスト教徒と多岐に広がり、イスラム文化を機軸に他の文化からの色彩を加えて発展していった混合民族による街だったようです。複数回の隆盛を繰り返したこの街はしかし、18世紀前半にアフガン人によって大々的に破壊され、さらに18世紀半ばには飢饉が発生・約4万人とも言われる市民が餓死するという凄惨を迎えます。現在の街の光景にはもちろん当時のものもありつつ、19世紀より行われた復興事業に依り再建されたものも多いようです。


イスファハンについて知っていく度、その街を取り巻くあらゆる事象に心を惑わされました。「世界の半分」という言葉、文化の交流地点、多民族と混血した街、そして失われた繁栄。それはまさに『verbena (for john and sarah)』でその姿を見つめ続けた蝶々さんの生き方と明確にリンクするものであり、もっと大枠として捉えるのであれば、僕たちが多少なりとも経験するであろう人間関係の失われていく様と、そこに纏い付く微かな(多くの場合叶いはしない)願いの蓄積のように思えたのです。


恋人でも友人でも家族でも、またはもっと浅い関係や逆に因縁の深い関係であっても、他者と共有する世界とはその人と分かち合うものだと僕は思います。分断ではなく分かち合うこと、理解し合うこと。僕がイメージする「イスファハン」とはそういうものでした。もちろんその度合いには人によって差があるでしょうが(我の強い人であれば自分の取り分の方が多かったり、その逆もまた然りです)、僕の場合は目の前の人と世界を等分に、即ち半分ずつにして分かち合っているように思えます。自分のいる世界の半分を譲渡することは精一杯の優しさと誠実さを示す方法であり、そして当然のことそれは時には報われず、抉れていき、終いに失われていくことも起こり得ます。いやむしろ、その方が多いかもしれません。イスファハンとはそういう痛みや儚さの集積とも言えるでしょう。


今年の僕はイスファハンに導かれた「世界の半分」という考え方に非常に興味を持ち、半ば取り憑かれていました───いや、正確に言えば、長年培ってきた他者との関係性や距離感を表すに相応しい名前を発見した、というところでしょうか。そしてまた名前を付けることは強烈な愛着を意味します。これまでに構築してきたその思考が、名付けれらたことでさらに色濃く、はっきりと縁取られたことを感じています。



いやしかし、出来上がった作品を聴いて尚思いますが、この作品がここまで個人的な趣を得ることになるとは想像していませんでした。全ての音楽は多少なりとも個人的な営みではありますが、この音楽はまるで閉ざされているようにも、逆に開放され過ぎているようにも感じ、自分自身でも非常に捉え所が難しい音楽だと感じています。創った本人ですらそんな調子なのですから、それが他者にどう聴こえるかだなんて全く想像がつきません。


とは言え、確信的なこともあります。この作品は僕自身のポートレイトに違いありません。それが故に、音楽的な言語としてどれが相応しい表現なのかが未だ分からないものでもあります。しかし音楽がいくら個人的であろうとも、そこに他者が全くいない訳ではないでしょう。実際にこの音楽には、人肌を感じさせる不思議な熱があると感じています。そしてそれは、少なくとも僕には、僕ではない誰かのもののように思えるのです。


この文章を書いている時に到来してきたのが、キース・ジャレットが脳卒中を起こし演奏活動への復帰が難しいとの悲報でした。彼の端正な、しかしどこか感情的にも聴こえる美しいピアノはもうこれから先の世界では鳴らされないのだと考えた時、嗚呼と腑に落ちたのは、この『an jsfahhann (reoverboard)』とは僕にとっての『The Melody At Night, With You』だったんだ、ということでした。非常に個人的な思惑を始点として動きながら、しかし他者にもしっかりと開かれている、彼の独白のような演奏を分かち合うこと。キース・ジャレットのピアノのようなしなやかな作用をこの作品が聴き手に与えることができていたら、作者としてこれ以上幸せなことはないでしょう。



何人かの方に事前に音楽を聴いてもらったところ、映画のサウンドトラックみたいだと言って頂くことが多々ありました。それに関してはちょっと不思議な気分でいたのですが、少しずつ客観的に音楽に触れるようになってきた今では、それも分かるようになってきた気がします。それは音楽的な動きや特徴というよりは、心の開き方に依るものではないでしょうか。

主格が自分の外側に対して何かの考えを抱くことによって映画の抱える物語は駆動していきます。それは一般的に言うと「愛」のようなポジティヴな類と「憎しみ」のようなネガティブな類とで振り分けられるのかもしれませんが、最近の僕はそれとは少し違う考え方をしています。この「愛 - 憎しみ」という対比はかなり一般的な、しかし実は至極極端で異常な二元論ですが、実際の人間の状態を二分するのであれば、それは心が動いているか動いていないか、言い換えれば関心を持っているか持っていないかではないかと最近よく感じます。


人間の平時の状態が「無関心」であれば、その逆に関心を覚えること、言い換えればどんな向きでも心を動かすことは「異常」です。心の動かし方とその方向性こそバラバラで人それぞれであり、だからこそそれは時に歪だったり、暴力性を孕んでいたりするものでもあるのでしょうが、基本的には屈折しているものであるのが当然だと感じています。その異常な心のあらゆる動きを総じて愛と呼ぶのであれば、どんな愛だって屈折しているものではないのだろうかとも思うのです。愛情は人間の異常な状態であるからこそ、それは人を過度に幸福にも、過度に不幸にもするのでしょう。愛情は恐らく劇薬で、危険なもので、人を狂わせ、その代償として安らぎを与え得るものに違いありません。


映画とは実におしゃべりな表現です。脚本や台詞などの物語性はもちろん、それが視覚と聴覚のどちらにも作用するからでしょう。言うなれば、その表現の特質性から多様な愛を雄弁に描くことが出来るフォーマットです。「映像のない映画」という本作への指摘はかなり素敵で粋なもので、個人的には困惑しながらもとても嬉しく感じています。そしてそれには間違いなく、現在の僕が日常的に触れている愛の屈折が関係しているでしょう。もちろんこれまでの友人たちや周囲の皆さんとの関係はもちろんですが、まるで映画の中にいるような気分にさせてくれる存在、世界を半分に分かつことで生活そのものを有意義に、そして優しくしてくれる存在に出会えたことが、今年の僕を強く支えてくれたのでした。僕はそうして支えられながら、混乱の中でも辛うじて人間らしい営みと自分自身とを繋ぎ止めることができました。

謝辞としてここでたくさんの名前を挙げていきたいのはやまやまなのですが、代表していくつか順不同で。『verbena (for john and sarah)』で協力してくださった皆さん。そこから派生して本作にも参加してくださったそらまめさん・akariさん・izumiさん・サシャくん。完成まで導いてくださったmiddle cow creek falls=朝倉さん。完成した音楽に対してきちんと向き合い、非常に喜ばしいたくさんの言葉をくださったカナダのJoni Void、そして韓国のKwonTree。デザインを担当してくれているおきぬさん。写真を撮ってくれた神山さん。僕とこの作品にとって非常に意味のある絵を提供してくださった飯島誠さん。皆さんのおかげで、ひとつの作品を完成させることが出来ました。本当にありがとうございます。


そして全ての音楽は多少なりとも個人的であるからこそ───この作品をあなたとあなたに捧げたいと思います。僕を常に支えてくれているひとりの心優しき女性と、彼女にとって世界の半分であった今は亡き男性に向けて。あなたとあなた、それぞれと分かち合った世界が平穏であることを切に願いながら、僕はこれからも生きていきます。


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